―☆ オアシス ☆― 2017.6.18
今回は週報の紙面上、6月18日(日)週報の「オアシス」欄は実質おやすみでした。
時におやすみすることも許されるのが、この「オアシス」欄のいいところでもあります。
ところで、この「オアシス」。牧師だけではなく、緑星教会にかかわる方々、また、FB上にも掲載するわけですから、未知数の方々の憩いの場になってもらうことを願ってやみません。
これからも、キリスト教は、聖書は、私たちに憩いの場「オアシス」を惜しみなく提供してくださっていることを、「オアシス」という小さなコラムを通して証していくことができればと思います。
もう、だいぶ前になりましたが、私は一日を終え、夜眠るときに「明日が来なければいいのに」と願って寝る日々が続くことがありました。
よく、落ち込んでいるときに、「かならず朝が来る」と励ます、ということは聞きます。そんな歌詞の曲もあったような気もしますが、「明日があるさ!」みたいな。
でも落ち込むとは、私の経験では「明日も来てほしくない」とまで思うもので、そうなると何も入ってこないものです。また、こうすればよくなるよ、という特効薬もないのです。
ただ、神はそのような私を放っておくことはない、とのその場合祈りそのものが「オアシス」になったりもします。も解決というわけではない。
そんな「オアシス」のように立ち止まることころがあるって大事だなと思います。そういう意味では教会に寄り道するのいいものですよ。
(岡田いわお)