―☆ オアシス ☆― 2017.6.11

困ったとき、助けてほしいとき、どうしますか。
「助けてー!」「ヘルプ・ミー!!」という時がありますね。そんなときに、周りの人に助けられたら、「あー救われた・・・」「あー、よかった」と思います。
イエスさまは、みんなに救いを与えるために、この世に来られました。
「救い」というのは、日常生活の中での、こまごました大変なことが大丈夫になる、ということにちょっと似ていますが、それがもっとすごい意味で「大丈夫」ということです。
いつでも、どこでも「大丈夫」という気持ちをいっつも与えられているということです。
でも、あまりにもいろんな大変なことがありすぎると、何から助けてもらったらいいのかわからなくなってしまうことがあります。
そして、「助けて!」という言葉を言うのことも大変になってしまうこともあります。
そういうとき、「助けて」という言葉をいうのをやめてしまうこともあるかも知れません。
特に、おとなになってくるに従って、いろんなことをやらなければならなくなって、自分でいろんなことをかんがえて生活しなければならなくなると、自分と同じように、まわりの人も大変なんだしと思って、自分が大変だと思って、もう限界なんだよー、と思っていても、「いや、まだまだ大丈夫」と思って頑張りすぎたりして、一杯一杯になることもあります。
そんなとき、イエスさまが一緒に重荷を背負ってくださっていることを思い出し、イエスさまに「助けてください」と打ち明けましょう。
自分だけで何とかしよう、頑張っている、周りの人は誰も助けてくれないという、自分の殻に閉じこもってしまうとき、イエスさまのことを思いだしましょう。
神さまの助けが絶対にあると信頼して、ゆるやかな思いになれます。そして、他者にも祈ってもらい、助けを求めることのできる心を持ちましょう。
助けを求める心というのは、意外にも、自分を低くする作業であったりします。プライドが邪魔をして、なかなか本心を出せないということがあったりします。自分で握りしめているものを1つひとつ、神さまの前に明け渡していく作業です。
イエスさまに連なり、イエスさま助けて!とすぐに祈れる幸いを私たちは与えられています。
イエスさまはいつも、どこでも、共にいてくださり、助けの道、救いの道を備えておられます。
先の道が見えない、そう思う時にも、聖書の言葉に聴くこと、イエスさまに祈り、賛美をし、そして信仰の仲間が与えられているということ、それはすばらしい恵みなのです。(岡田恵美子)