ウォルター・ラウシェンブッシュ著「キリスト教と社会の危機」6章 勉強会

 2016年1月24日に勉強会をもった。本書の6章には、キリスト教と貧困問題の関係について次にように書かれている。

 慢性的・急進的な貧困に直面するとき、多くの組織は無関心であるかも知れないが、キリスト教会が何らかの仕方で状況に関わらなかったら、「キリスト教」という名前が非難される。

 キリストの教会を、住む家もなく、娯楽もなく、喜びもない無産階級の人々に直面させなければならない。

 貧困と格差を生じさせている根本的な原因を追求する権利が教会にはある。

 善いサマリア人は散弾銃を携えて強盗を追跡しなかったが、負傷して困っている人を道端で介抱した。

 しかし、同じ道を通過していく何百人もの善いサマリア人が何千人もの怪我人が自分たちに向かって呻いているのを見つけたとしても、もし彼らが怪我人たちの発生を食い止める自警団を組織化しなかったら、彼らは本当の善いサマリア人ではない。

 貧困は、不正義と絶望の感覚麻痺とともに魂を圧迫する。エジプトにいたイスラエルは「厳しい重労働のため意欲を失って、モーセの言うことを聞こうとはしなかった。」