「名を呼ぶ―尊厳の根源」★

神に名を呼ばれ、これに応えて生かされる。

 神は捕囚の民に「わたしはあなたを贖う」、即ち身内の立場に立って解放する。「わたしはあなたの名を呼ぶ」、即ち、一人ひとりをかけがえのない存在と認め、交わりの 相手とする」と語られた。

 記憶を全く失った老紳士は、今わの際に「わが名を呼びたまわれ」と朗唱して、自らの存在の証とした。中絶の依頼に行った女性は、医師から胎内の子の名を問われて産む決心をした。子の名を思いめぐらせている間に子の人格が誕生したわけである。人はその名によって一人の人間として自分を自覚し、他の人の名を呼ぶことを通して人間同志のつながりを知る。

 神はイスラエルを救うためには強大国を代償とすることも語り、神の目にはイスラエルは価高いと述べた。新約聖書では、強大国の代償によってではなく、神の独り子の犠牲によって、全人類の救いが実現したと記されている。神に呼ばれなければならないのに気がつかない私たちに対して、神は先手を打ち、十字架のイエス・キリストの命がけによって応答を引き出し、呼べば応える神との正しい関係に招きいれたもう。私たちが買い取られたのは、キリストという代価による。そこに私たちの尊厳があり、キリストを代価にしてまでも私たちを交わりの相手としたもう神の愛が示されている。