「人間をとる漁師」★

 
ゲネサレト湖(ガリラヤ湖)の漁師シモンがイエスの弟子となる物語。

「飼う者のいない羊」のような群衆が、イエスが湖畔に立っていると「神の言葉」聞くために押し寄せてきた。イエスはこれらの人々へ対応するための環境づくりをしなくてはならない。そこで、すでに漁を終えて陸揚げされていた二そうの舟のうちの一そうを借りようと、持ち主であるシモンに依頼した。彼はそれに応じ、イエスを舟に乗せ、岸から少し漕ぎ出した。

イエスは神の言葉をその舟の上から群衆ひとりひとりに届くように語られた。シモンはイエスのそばでそれを聞いていたが、話が終り、舟を陸に向け漕ぎ出そうとした時のことであった。シモンの人生を根底から変革することになる出来事が始まった。

イエスは彼に「沖に漕ぎ出して網を降ろし、漁をしなさい。」と言われる。彼はこれをどのように受け止めたであろうか。この方はなんとおかしなことを言うのだろう、と顔色が変わったのではないだろうか。

そこで、ゲネサレト湖で長年、漁をするベテラン漁師であるシモンは、「わたしたちは、夜通し苦労しましたが、何もとれませんでした。」と現状を伝えた。そこにはイエスに「漁をしなさい。」との提案を撤回して欲しいとの思いと同時にイエスの言葉に従いたいという思いが揺れ動いていた。「お言葉ですから、網を降ろしてみましょう。」とイエスの言葉に従った。

この服従に予期せぬ出来事が創造されてゆく。「おびただしい魚がかかり、網がやぶれそうになった」のである。「二そうの舟にいっぱい」という大漁であった。これを見たシモンは全身を揺さぶられつつ、どうしてよいかわからず、ただイエスの足もとにひれ伏して「主よ、わたしから離れてください。わたしは罪深い者なのです。」としか言うことができなかった。それはこの出来事に驚き、自分とは誰かを知っただけでなく、イエスに罪を告白する者とされたからであった。

この「罪人」シモンに対して、イエスは「今から後、あなたは人間をとる漁師になる。」と全く新しい歩みを提示し、彼も「すべてを捨ててイエスに従う」存在となるのであった。

シモンにとり、漁師としての道はよく知るが、イエスに従う道は、道なき道を歩きつつ作る道。そこに多くの罪人が招かれ、救い主イエスと共に歩む出来事が創造されていった。私たちも、招かれた罪人のひとりとしてペトロに続く弟子とされるのである。