「人の思いを超えて」★(長尾邦弘牧師ー深川教会)

ヨブは清く正しい人で祝福された人生を送っていました。一方サタンは神の許しを得てヨブを襲い、ヨブは二度に渡って最愛の家族や財産を失い、自分もひどい皮膚病に冒されてしまいます。打ちひしがれたヨブはただ灰の中に座ります。神を呪って死ぬ方がましだと言う妻に「わたしたちは、神から幸福をいただいたのだから、不幸もいただこうではないか。」とヨブは答えます。
友たちも彼を慰めようとしますが、議論の末行き着くのは因果応報の原理。苦難の意味は見出されません。ヨブは苦しみの中で自分の生まれた日を呪うほかはありません。ヨブの問いは「自分は無実であるのに何故このように苦しめられるのか、神の正義はどこにあるのか」というものです。
ついに長い沈黙の後、嵐の中から神が語られます。「お前は何者か。お前も被造物の一人に過ぎないではないか」と。神はヨブの苦難の問題には立ち入りません。人は自己を中心に物事を見ることに終始せざるを得ず、神の視点から見れば物事の意味は全く異なる事に気づくことができません。しかし自己の問題解決、自己からの解放が世界の中心ではないのです。
イエスは言われます。「今日は野にあって、明日は炉に投げ込まれる草でさえ、神はこのように装ってくださる。ましてあなたがたにはなおさらのことである。」