「少数者の信仰」(「信教の自由」を守る礼拝)★

少数の信仰者を大切にすることの重要性を語る物語。

パウロは当初、エフェソの会堂で「三か月間、神の国のことについて大胆に論じた。」が、ある者たちとの衝突により、別な場所で活動することになった。それは「ティラノという人の講堂」で、そこでは毎日、論じることができることになり、それが2年も続いたのである。この活動により、「アジア州に住む者は、ユダヤ人であれギリシャ人であれ、誰もが主の言葉を聞く」ことになり、エフェソ伝道はかなりの成果をあげた。

このパウロたちの活動に危機感を覚える人がいた。それはアルテミス神殿の模型を銀で造り、職人たちにかなりの利益をえさせていた「銀細工師」のデメテリオという人物であった。彼は職人たち、同業者を集めて、パウロたちを放置しておいたならば、「我々の仕事の評判が悪くなる」ばかりか、アルテミス神殿もないがしろにされ、女神の威光も失われるというたいへんな事態になると訴えたのである。

これ聞いた人たちは「ひどく腹を立て」、このままパウロたちの活動を見過ごしにしたら神殿はたいへんなことになると思ったのだろう、「エフェソ人のアルテミスは偉い方」と叫びだしたのである。これにより、町中も大混乱、興奮した人たちはパウロの同行者を捕え、「一団となり野外劇場へなだれ込んだ」のである。パウロ本人は現場に行こうとしたが、側近が「劇場に入らないようにと頼んだ。」

この事態に町の書記官がやってきて、アルテミスの女神の偉大さ、パウロたちはこの神を冒涜していないこと、訴えたいのであれば法廷ですること、デメテリオたちの行動は暴動の罪に問われる恐れがあることなどを語り、群衆を解散させた。これにより事態は一件落着した。

このエフェソ騒動物語はパウロたちがいかにたいへんな目にあったかを語る話であると同時に、少数者の信仰が大切にされなかった事例報告でもある。

私たちは今、テロ事件をきっかけに、イスラム教に関心を持つようになった。彼らはヨーロッパ社会では信仰者としては少数であり、エフェソ騒動のパウロたちと同じような状況に置かれることがある。

今後、こうした騒動が起こらない社会的な仕組みを構築してゆかねばならない。この働きがキリスト者の社会的な責任なのである。