7月度の例会でのコーディネーション・学習発表より

教会HPへの掲載が後先となりましたが、7月6日の例会でのコーディネーションの内容をご紹介しまします。

これは、聖友会の会員が各月持ち回りで学習発表と会の話題提供に用いられたものです。その日の主題は「周りを知って、自分を見失わないように」でした。


本所緑星教会 聖友会でのコーデイネイションのテーマ2014年7月6日()


      周りを知って、自分を見失わないように




主なるテーマ:日本・東アジアと北欧・アメリカのアングロサクソン系との思考の違いー文化地理的考察と実社会における営み【社会的実践】における考慮


        ・自分の神への信仰を確認することの一つとして。




参考文献:「木を見る西洋人 森を見る東洋人」(The Geography of Thought) リチャード・E・ニスベット 2004年「千年の文化百年の文明」 吉田秀和 2004年「考えながら学ぶキリスト教」久山道彦・泉 守彦・吉岡吉昌2012年第11刷「社会学者、聖書を読む」 高橋由典2011年 そのほか:「希望学」関係諸本 特に玄田有史、宇野重視氏との東大社研との学びを通して  


約6冊+レポート類


 


「周りを知る」:


1.東洋(東アジア)と西洋(主にアングロ・サクソン系)の考え方に優劣はない


 


さて日本人の多くと自分は、以下の文化のどこに多くの影響を受けていると考えるか。


・中国人学生:「いいですか、先生。先生と私の違いは、私はこの世界を円だと思っていて、先生は直線だと思っていることです。中国人というのは、物事はたえず変化しながら、結局はもとのところに戻ってくると考えます。」さまざまな出来事に広く気を配り、物と物との関係を作ろうとします。全体を見ずに一部だけを理解することはありえないとも思っています。それに比べて、西洋人が生きているのはもっと単純でわかりやすい世界です。中国人とは違って、彼らは全体の状況ではなく、目立つ物や人に注目します。対象の動きを支配する規則さえわかれば、出来事を自分の思い通りにできると思っているのです。」


 


・大人になってからでさえ、訓練によって思考様式が変わることがあるのだから、まして、生まれたときからそれぞれの文化に固有の思考様式を教え込まれれば、結果的に、思考の習慣に大きな「文化差」が生じたとしても不思議ではない。




・社会の構造や人間観というものは、それぞれの社会に生きる人々がもつ信念体系や認知プロセスと非常によく合致しているように思われる。アジア社会は、集団や周囲の他者との協調を重んじる傾向があると言われる。こうした特質は、アジア人が文脈を重視している広い視野で世界を眺める傾向を持っていることや、「出来事は極めて複雑なもので、その生起には多くの要因が関係している」と信じていることと合致している。


 これに対して西洋社会は、個人主義的でお互いの独立性を重んじる傾向があるとされる。こうした特質は、西洋人が特定の事物を周囲の文脈から切り離して捉える傾向を持っていることや、「対象を支配する規則さえわかれば、その対象を思い通りにコントロールできる」と信じていることと合致している。



・なぜ西洋人は、日常の出来事について推論する際に形式的な論理法則を用いたがり、ときには論理に固執しすぎて物事の本質を見誤ってしまうのか?なぜ東洋人は、明らかに矛盾する命題を容易に受け入れることができ、また、いかにしてそれがときには真実へと彼らを導く助けになるのか?




・ギリシャ人は明確に、個人の「主体性」の観念をもっていた。それはすなわち、自分の人生を自分で選択したままに生きるという考え方である。ギリシャ人の幸福の定義には、制約から解き放たれた人生を謳歌するという意味が含まれていた。ギリシャ人が持っていた主体性の観念は、「自分とは何者か」についての強い信念(アイデンテイテイー)と連動していた。個人主義という概念を生み出したのがギリシャ人かヘブライ人かは議論の分かれるところだが、ギリシャ人が、自らを他人とは違った特徴や目標をもった「ユニーク(唯一の)」個人だと考えていたことは確かである。


討論(デイベート)の伝統


ギリシャ人にはもう一つの特徴があった。それは世の中に対する好奇心の強さである。アリストテレスは、好奇心とは人間固有の重要な財産である考えていた。聖ルカは後の世のアテネ人について、「何か新しいことを見聞きするためだけに時間を過ごしている」と述べた。今日われわれが用いている「学校(school)」という単語は、ギリシャ語で「余暇」を意味する「スコレー(schole)」が語源である。ギリシャ人にとっての余暇とは、知識を追い求める自由だった。


ギリシャにおける主体性に対応する中国の概念といえば「調和」である。中国では個人は何よりもまず、氏族や村落、そして家族といった「集合体の一員」だった。哲学者のヘンリー・ローズモンドは次のように書いている。「儒家の人々にとっては、世の中から切り離された私というものは存在しない。私とは抽象的に捉えるべきものではなく、特定の他者との関係の中にあるいくつかの役割の総体である。・・・多くの役割が集められ、織りあわされることによって、個々人に特有のアイデンテイテイーのパターンが形づくられる。もし自分の役割の一部が変化すれば、織りあわさっている別の役割も必然的に変化し、文字どおりその人は別の人間になるといえる」


注:よく日本の学校などで。「人間とは文字の示す通り、人と人の間で生きる」と教えられが、この考え方は儒教的な思想からきている。



・中国人の社会的調和を妥協と混同すべきではない。むしろ孔子は、調和を望む紳士の心を称賛し、妥協を求める卑しい心とは区別した。


・儒教においては、実行に結びつかないことを「知る」という考えはなかった。


 -天空を研究していた中国人たちは、彗星や日食、月食と言った宇宙の出来事は地球上で何か重要なことが起きるのを予言していると考えていた。しかし、やがてこうした出来事の規則性がわかると、彼らはモデル化するどころか、逆に関心を失ってしまった。



・周囲から切り離された対象物それ自体を単独で観察し分析するという、ギリシャ哲学の基本姿勢がある。多くのギリシャ人は、人間は一人ひとりが互いに他社とは切り離された別個の存在であり、それぞれの物質も他とは異なる別個の対象物を形づくっていると考えていた。-論理と感覚との選択では論理をとることが多かった。―――有名な「矢」のパラドックス



・中国人の人生観は、三つの異なる哲学の混合によって形づけられていた。道家思想、儒教思想、後年の仏教思想である。いずれの哲学も調和を強調し、抽象的な思索をあまり重んじていなかった。――「塞翁が馬」の話。周恩来の話として、「フランス革命の結果が有益であったと思うかどうかを尋ねられたとき、こう答えたという。「まだ語るには早すぎる」。もう200年以上経ているのに。


-儒教の教えからは、「民主主義」はありえない。(士農工商の根本)-孝が何よりも大切。科挙の制度は平等主義とはいえない。


・儒教は道家思想と同様、真実を見出すことよりも、この世の中を生きる「道」を見出すことのほうに、より多くの関心を払っている。 経済的な安寧と教育の重視。儒教の教えは人間がこの世で生活していくうえでの知恵、処世訓、行動の原則、実態などを記した点では立派なものですが、「信仰」という観点からは判断がつきません。「天」という言葉がありますが、これは全く異なる概念を有しています。(宗教でいう「天」とは異なるということ。)儒教のことを常識の宗教などとも呼ばれている。この時代の中国は、他の多くの国々では例を見ないほど、階層にも富にも流動性があった。儒家の人々はアリストテレスの子孫たちとは比較にならないほど、人間性の順応性の高さを信じていた。


 →道教、儒教、仏教はいずれも、調和と包括性を重んじ、万物は互いに影響し合うと考えていた。こうした見解のゆえに、中国哲学においては個人の権利という概念が欠落していた。それどころか、仏教の影響力が増してからは、個人の精神というものさえ認められないことがあった。-「共鳴」という概念。


→「天」というものはある。これは人間世界を管理監督する人間を超越した存在である。その天は、人間社会が治まるように、何億もの人間の中からたった一人の優秀な人物【原則として男子】を選び出し、国をまとめるようにという指令を出す。これが、天が下した命令つまり天命であって、天命を受けたのが天子である。これを政治的名称で呼ぶならば「中国皇帝」ということになる。革命とは天命が革(=改)まるということである。


 中国儒教文明の特徴は、来世というものを認めないということであろう。天後も地獄もない。天界はあるが、それは死後の世界ではなく、超越者が不老長寿を楽しむ楽園である。人間は原則としてそこに参加できない。当然、死後の審判も來世の救済もない。だから、この世の政治で敗北したらもう後はないということであり、来世を認めないことから、中国では伝統的にこれを「儒教」つまり宗教とは呼ばず、「儒学」あるいは「朱子学」といった学問や哲学の一分野であるような呼び方を好む。しかし、超越者を認めていることから見ると、これは宗教と言った方が正確かもしれない。


 この儒教から生まれたものが「士農工商」という身分制度である。


・真実は双方にある。


・連続体としての世界(日本は中間か?日本でも地域によって異なる)


中国語は驚くほど具体的である。抽象志向に対応するような考え方はない。


たとえば、中国語には「大きさ(SIZE)」という語がない。誰かにピッタリの靴を見立てたいと思ったら、その人の足の「大小(big-small)」を尋ねる。中国語には「~さ(~NESS)」に合う接尾語がない。つまり、「白さ(WHITENESS)」という言葉はなく、ただ「白鳥の白」や「雪の白」という。中国人たちはどんな場合にも厳密に定義された用語やカテゴリーを用いたがらず、代わりに表現豊かで比喩的な言語を用いるのである。中国人が世界を見るときの基本姿勢は、個々別々の対象物の寄せ集めとしてではなく、ひとまとまりの実態として捉えるということである。


 ギリシャ人たちは自立的で、人々に真実として受け入れてもらえるものを見出すべく、自己主張や討論に力を注いだ。自分は他者とは違う特性を持った個人であり、他者とは切り離された社会単位であると考えた。また、自分の運命は自分の支配下にあると思っていた。 世界は単純でわかりやすいものだった。―固有の属性を問題にした。物事の過度な単純化の傾向。


―「自然」の発見(発明?)―宇宙から人間と人間の文化を除いたものが自然であると定義した。


―中国医学と西洋医学の相違


・西洋でのアリストテレスの伝統と東洋での孔子の伝統の影響【もちろん例外は多々あるが】―異なった世界観、社会的実践の違い、異なった知覚や推論のプロセスの生起。 生態環境や経済状態からのもの判断は必ずしも正しくない。




・場依存性


世の中に対する農耕民の注意の向け方と、狩猟採集民および産業社会に生きる自立した近代市民の注意の向け方には、重要な違いがあるかもしれない。とすれば、ひとつの社会のなかには社会的制約の程度が異なる複数の下位文化(サブカルチャー)が存在する場合にも、それぞれの人々の場依存度には、やはり違いがあるはずである。―(この違いは実験によりその存在が示された。)場依存性は、外から強制された社会的制約の結果としてのみ生じるとは限らない。他者に対する関心は、場依存性と関連あると思われる。実際、場依存的な人々の方が場独立的な人々よりも、他者と一緒にいることを好む傾向にある。場依存的な人々はまた、場独立的な人々よりも、人の顔や社会的意味を持つ単語(「訪問」、「パーテイー」など)に関する記憶が良いことも知られている。さらに、場依存的な人は場独立的な人に比べて、他者の近くに座りたがる傾向があることも分かっている。―――自分はどうか?相手の傾向を勝手に判断していないかに留意すべきであろう。


弁証法的アプローチの適用については、・・・明らかに矛盾に直面した時、東洋人は「中庸」を求め、西洋人は一方の信念が他方よりも正しいことにこだわる。・・・(信仰の発露の仕方において、このような違いが信徒のなかでも存在するであろう。心の習慣についても言えるかもしれない。)



・相互独立、相互強調


さまざまな文化を比較するうえで有効な概念として、「ゲマインシャフト」(共有されたアイデンテイテイー意識に基づく共同社会)と「ゲゼルシャフト」(道具的な目標を達成するために組織された利益社会)という区別が提起された(ドイツ人社会科学者たちにより)。ゲマインシャフトは自然発生的な人間関係を基盤とし、一体感と互助制に支えられた社会である。家族関係、教会の集会組織、友人ネットワークなどがこれに当たる。その基本は思いやり、頻繁に顔を合わせての相互作用、共通の経験、財産の共有などである。


一方、ゲゼルシャフトの基盤となる相互交流は、たいていの場合、目的を達達成するための手段である財や労働が頻繁に交換され、交渉と契約がしばしば行われる。この社会システムでは、個人が利益を得ることや競争で優位に立つことが許されている。企業や官僚組織などはゲゼルシャフトの例である。


ある組織や社会が、完全にゲマインシャフトであったり、ゲゼルシャフトであったりすることは考えにくい。これらは単なる理念モデルである。・・・ゲマインシャフトはしばしば「集団主義的」な社会システムを指し、ゲゼルシャフトは「個人主義的」な社会を指すことが多い。ヘーゼル・マーカスと北山忍によって提起された「相互強調」「相互独立」という語もこれに似た概念である。・・・この概念においての訓練は、文字通り、ゆりかごのなかにいるときから始まり、目覚めている間にいっそう強化される。-(赤ちゃんのベッドの両親との区分けの相違など)。


-アメリカの子どもは、自分で課題を選択する条件で最も高い意欲を示した。アジアの子どもは、お母さんが課題を選んだという条件で最も高い意欲を示した。→【実験とその測定結果より】




 相互独立と相互協調は、当然ながら二者択一の問題ではない。どのような社会でも(そしてどのような個人も)、両方の要素を併せ持っている。そして驚くほど簡単にどちらか一方の志向性を顕在化させることができる。




2.変化する視点



 ドイツ、スイスで始まり、フランスやベルギーを通じて広まった宗教改革によって、個人の責任という概念が生まれ、また労働が神聖な活動として定義づけられた。宗教革命はさらに、家族をはじめとする内集団との結びつきを弱め、逆に外集団を信頼してその成員と取引しようという機運を高めた。


 こうした価値はいずれも、ピューリタンや長老派教会を含むイギリスにおけるカルヴァン派によって強化された。彼らがもっていた平等主義的なイデオロギーは、アメリカ合衆国政府の土台となった【事実、トマス・ジェファーソンが起草した独立宣言は、単にピュ-リタン支持者のジョン・ロックの言葉を言い換えたものだった。「われわれは、次の真理を自明のものであると考える。すなわち、人間はすべて平等に創造され・・・譲渡できない一定の権利を付与されている・・・これらの権利のなかには、生命と、自由と、幸福の追求がある・・・」。】


 ―東から西へのイデオロギー変遷の道筋については、このまとめでは詳細を省く。


 ―研究においてもっとも「西洋的な」行動パターンを示すのは白人プロテスタントのアメリカ人参加者である。カトリック系の人々や、アフリカ系アメリカ人やヒスパニックを含む少数民族の人々は、それよりやや東洋に近いパターンを示す。



・西洋のみならず、東洋の諸文化の間においても、社会行動や価値観の違いは存在する。


日本人も中国人も面子にこだわるが家族に対しては中国人ほど日本人は気持ちを注がない。日本人は中国人以上に企業に対して献身的である。―孝― 


日本人も中国人も、一般に西洋人と比べて大きな社会的制約を受けている。中国人は主に権威による制約であり、日本人は仲間からの制約である。


日本人は人生の全ての局面において秩序を求めるという点では、ドイツ人やオランダ人と相通じるものがあり、中国人は人生に対してもっとリラックスした態度で臨むという点で地中海の人々と似通っている。




・討論の伝統


 古代中国と同様、現代のアジアにおいても、討論はほとんどなじみのないものである。実際、西洋人の第二の天性とさえ言われる論争に関する技法は、そのほとんどがアジアでは見いだされない。・・・。ある日本人の友人は、「活発な議論」の概念は日本にはないと私(リチャード・ニスベット氏)に言っていた。それは集団の調和を乱す恐れがあるからだという。


 討論の伝統をもたない韓国の人々には、さまざまな考え方がはびこっても結局は正しい考えが勝利するという確信がない。そのため以前の政府は、共産主義の考え方や北朝鮮の施策については討論を禁じることによって、市民を「守った」のである。


 アジアの論争者達は問題の解決を仲裁人に委ねる。仲裁人に課せられているのは公正な判断ではなく、敵対する者たちの主張の「中庸」を探して憎しみを軽減することである。アジア人には普遍的な原則によって法律上の解決策を見出そうとする考えはない。それどころか、抽象的で型どおりの西洋流の正義は、融通がきかなくて冷酷なものだと考える傾向がある。



・異なる価値観


 社会環境の違いは、古代の中国人とギリシャ人の間に見いだされた違いと同じ物と言ってほぼ間違いないだろう。古代の中国人とギリシャ人の認知の違いを生み出したのがその社会環境の違いであったとすれば、現代の東アジア人と西洋人の間にも、古代の中国人とギリシャ人の違いに対応するような認知の違いを見出すことができるはずである。


・人類の進歩の方向性についての「世界のかたち」の認識の相違


・西洋人は単純さを好み、東洋人は複雑さを仮定する。


・世界は名詞の集まりか、動詞の集まりか。


・対象物の世界で育つか、関係の世界で育つか。


カテゴリーは名詞によって表されるものである。幼い子どもにとっては、明らかに動詞よりも名詞を習得することのほうが易しいと思われる。東アジアの言語では、英語やその他のヨーロッパの言語に比べて動詞が目立ちやすい。中国語、日本語、韓国語の動詞は文の最初か最後にくることが多く、いずれも目立つ場所である。英語の場合には、動詞は多くの場合真ん中に隠れている。


―いくつかの実験の結果、明らかになったことであるが、文化そのものが言語とは無関係に思考に影響を及ぼしていることが示唆された。



・東洋人が論理を重視してこなかった理由:


論理か、経験か。ギリシャ人が論理に関心を抱いた理由は、論理が議論の役に立つと考えたためである。「中国の伝統教育の目的は、文化の模範となるような条理のわかる人間を育てることにある。教養のある人間はなによりもまず条理に通じた人間でなくてはならない。すなわち常に思慮分別があり、節度と慎みを愛し、抽象的理論や極端な論理を嫌う姿勢を備えた人間でなくてはならない。」(林語堂ー文芸評論家)。「論理的一貫性のある主張をすると、、、、人を怒らせるだけでなく、人に未熟者とみなされてしまうかもしれない。」(長嶋信弘―文化人類学者)。


 今も中国人は、論理よりもはるかに情理を志向している。東アジア人は、論理よりも結論の典型性やもっともらしさを優先する傾向がある。また、論理よりも結論の望ましさを優先するという傾向も見られる。


 東洋人の矛盾に関する考え方は西洋人の考え方と異なっている。東洋人は折衷的な解決や包括的な主張を好み、一見矛盾する二つの議論を両方とも是認しようとする。自分の選択を正当化するように求められると、原理を引き合いにだすよりむしろ折衷的な「中庸」の立場をとろうとする。アメリカ人は矛盾律【無矛盾の原則】が大好きだが、だからといって疑わしい推論を行わないという保証があるわけではない。それどころか、アメリカ人はあまりに矛盾嫌いであるために、極端になるべきではないときにますます極端になってしまう。こうした傾向のゆえに、西洋人はしばしば、「過剰に論理的である」という批判を東西双方の哲学者や社会批評家から受けているのである。



3.思考の本質が世界共通でないとしたら。




・契約:西洋的な精神からすれば、いったん確定した商取引は変更すべきではない。取引は取引である。しかし東洋人は、合意を将来の方向性について暫定的に合意したとみなすことが多い。


・人権:西洋人は、個人と政府の適切な関係はひとつしかないとかたくなに信じているように思われる。個人は周囲から切り離された社会単位であり、個人と個人、または個人と政府との間には、ある種の権利、自由、義務を伴った社会契約が結ばれている。しかし、東アジアを含めた多くの人々は、社会を個人の集合とは考えず、それ自体を有機的な組織体と捉えている。個人に付与される権利の概念は希薄であるか、まったくないかのどちらかである。中国人にとって、あらゆる権利の概念は「一対多」ではなく社会における「部分対全体」という発想にもとづく。個人が権利を持っているという場合、中国人はそれを全体の権利のうちの個人の「持ち分」として想定する。


 西洋人の眼には、東アジアでは個人の人権が無視されているように映ることがあるが、それは単に倫理の問題として受け止められていることが多い。しかし、東アジアの官僚の行動が倫理的に適切かどうかはさておき、彼らが異なった行動をとるのは倫理観が違うからとは限らず、個人のあり方についての概念が違うためかもしれない。われわれはこのことを理解しておく必要がある。また、個人の概念の違いは、世界を個体の集まりと見るか連続体と見るかという、最も基本的な形而上学の違いとも関連している。さらに、東アジア人やその他の「相互協調的」な人々の眼には、西洋人の行動が非倫理的なものに映る場合があることも認識しておく必要がある。




・宗教:宗教上の違いは数多いが、その中には西洋における「善か悪か」の精神と、東洋における「どちらも一理あり」の精神を対比することによって理解できるものもある。東洋の諸宗教の特徴は、宗教的な考えについての寛容さと相互の浸透である。韓国や日本では、一人で儒教も仏教もキリスト教も信じてよいことになっている。(文化大革命前は中国でもそうであった)。東洋で宗教戦争が起こることは比較的稀であり、これは西洋で何百年にもわたって宗教戦争が繰り返されてきたのとは対照的である。  一神教の場合、誰もが同じ神を同じように信じるべきだという主張が生じやすい。この点に関してギリシャ人は潔白だという人もいるだろう。それはおそらく事実である【何といっても、ギリシャ人は多くの神を信じ、個々人がどの神を好むかということをあまり気にしていなかった。】。宗教上の争いに傾倒してきたのは、もっぱらアブラハムの宗教(ユダヤ教、キリスト教、イスラム教)である。他方、神学によって神の神たるゆえんを整理すべきだと考えた宗教はキリスト教だけであると言われるが、このような分類と抽象化への傾倒はギリシャ人にさかのぼることができる。


 多くの東洋の宗教は循環を非常に重視するが、西洋においてはそれほどでもない。再生が重視されることも多いが、西洋では稀である。多くの東洋の宗教においては罪は慢性的なものと考えられており、償うことができる(カソリックの考え方もある程度これと似ている)。しかしプロテスタントの伝統では、罪というのは非常に根が深く、容易に償うことはできない。


 また死後の自分に何が起こるのかという候補の数は、インドから西へ向かうにつれて劇的に減少すると言ってよいだろう。すなわち、ヒンズー教や仏教では、人はほぼ何にでも生まれ変わる可能性がある。カソリックでは、煉獄や地獄圏といったいくつかの可能性がある。カルヴァン派であれば、いく先は二つにひとつということになる。


―― この部分はキリスト教信仰者にとっては受け入れがたい意見だと思われる(発表者の追記)。



  • 以上の記述での結論は、実験室で見出されるような認知の違いが原因となって意見や価値観や行動の違いが引き起こされるということではない。認知の違いは社会行動や価値観の違いと切り離せないものだということを指摘したいのである。人がある信念を抱くのは、それが自分の考え方に合致しているがゆえであり、人がある考え方をするのは、それが自分の生きる社会の性質であるがゆえである。




  • 文化相対主義を超える:アジア人の推論のパターンは西洋人の推論の誤りを正すための光を投げかけてくれると思うし、同じことが東洋の思考を西洋的な視点で眺めたときにも言えると信じている。

     


・教育の方法:教育者は、別の文化で生活するためのスキルを子どもたちに教えるべきであろうか、それとも自分の文化で重視されていることに焦点を当てるべきだろうか。民族の多様性はあらゆる面において常に歓迎される。教育環境も職場環境も、異なるバックグラウンドをもった人々が集まることによって豊かなものとなる。われわれの研究は、多様なものの見方をすることが問題解決に役に立つという主張をサポートするものである。東アジア人とヨーロッパ人は異なった認知の志向性やスキルをもっている。それゆえ両者には、あらゆる場面でお互いを補い、豊かにし合う力がある。ほとんどの問題は、ひとつの文化の出身者ばかりが集まるよりも、異なった文化の出身者が集まることによって、よりうまく解決できるものと思われる。(日本人の間でも同様であろう。)


こうした多様性の意義が今後とも守られるかどうかは、世界を画一化しようとする動きがどれだけ推し進められるかにかかっている。



3 われわれはどこへ向かうのか?


 


価値観は多極化を続ける。そうでないと考えている人はみな、コーラを飲んだり、コンピューターをつくったりすることを、西洋化と勘違いしているのである。


・世界が収束へ向かう可能性の一つ


世界が多様化ではなく収束へ向かうとしても、それは純粋な西洋化に基づく収束とは限らない。西洋化と東洋化が同時に目指され、両者の社会システムや価値が融合した新しい認知様式に向かうかもしれない。


韓国の大衆は今や三分の一がクリスチャンだが、アメリカにおける仏教徒の増加率は主流派のプロテスタントよりはるかに大きく、ニューヨーク州東部のキャッツキル山地にあった数えきれないほどの中流ユダヤ人向けリゾートは急速に仏教研究センターに様変わりつつある。多くのアメリカ人は、個人主義の伝統が人間関係を疎遠にすることに気づき、社会的規範や秩序の崩壊(アノミー)をくいとめるために東洋の共同体のあり方に注目している。・・・。東洋人が討論教育を熱心に進めようとしている一方で、西洋人は真とも偽ともいえない命題を認めるような論理体系について模索している。


もし、社会的実践、価値、信念、科学のテーマといったものが一つの方向に収束していくとすれば、思考プロセスにおける違いも次第に薄れていくことになるだろう。現に、異なった社会的実践を経験したり、異なった社会的志向性を一時的にでも意識したりすることによって、ものの見方や考え方にも変化が生じることがわかっている。


 


一方から他方へ、他方から一方へという双方向的な変化の力によって、「両者が交わることはある」と信じる。洋の東西が交じり合うことで生まれるかもしれない新しい世界は、両方の社会や認知の特徴が生かされてはいるものの、いずれも以前のままではない。(日本の北から南の地域間でも同様)。


 


他国も日本の中でも、あらゆる文化の一番美味しいところを知って(認知し合って)交じり合う世界となることを願うのだがいかがであろうか。




信仰の土台:「自分を見失わないように」



今までの世界の【一部かも知れないが主たるこの人類に与えていることは間違いがない】文化地理的状況を学びつつも、キリスト信仰者として、常に確認しておきたいことのいくつかを記してみる。その中で「キリスト教は神の愛を信じ、従う宗教でありそれが自分の中の大切な文化である。」ことを外に向かって示し続けていきたい。主に対する感謝の念がかえって強くなることを感じる。



以下はいつも信仰の初歩に戻って確認している事項である。


1)「信ずる」こと。それは、奇跡や永遠の生命についてなど、科学的・理性的な認識に相反する事項をただちに承認する、という意味での「信」を強要することではない。外側から強制される「信」は、本人の意思の同意を必要とはせず、人の知性と情念を照らし、それを高次のものに高めていく、全人格的な自由をもたらすものではないからである。




2)よい人格になる。このことは特別の精神修養をしたり、難しい勉強をすることではない。よき人格は、人間が義と愛の源である神の働きかけなくしては本当には生き得ないという事実を認め、自己の欲望への執着を捨てて、目に見えない真実なものに心を開く素直さを通して実現される。すべての人の良心に単純で根源的な他者への志向が備えられている。そして良心の促しに従って他社の呼びかけに耳を澄ませ真摯に応答する出来事の中に、人間が互いに愛し愛されるために、唯一人の神によって造られた人格的な存在であることが明らかになってくる。




3)あなたたちは心を入れ変えて幼子のようにならなければ、神の国に入ることはできない、と弟子たちに何度も教え諭された。神を信ずる信仰は、一つは理想や原理ではなく、幼子のみが適切に表現しうる他者への信頼の喜びを、神に向けて激しく生きること以外ではない。しかし、同時に神への信頼を抱くことは人間の努力によらず、神の一方的な憐れみによるのである。




4)「神を知る」ということは、単なる知識認識としての知識に限定されたり、また感情的、情緒的憧れの留まるのでもなく、人間の存在全体を挙げての応答である。このような神への全人格的認識の人間的応答の仕方を、聖書は「信仰」と呼んでいるのである。



5)イエスの説く愛とは、神のアガペーに由来する愛【神―人関係】である。神のアガペーがあるから、人間のアガペーも可能にされるのである(人―人関係)。イエスの倫理は、平板な人間的道徳としては捉え難いものである。(ルカ、6勝35-36)


 


6)神によって知られている:これは旧約詩編139編に代表される聖句を確認したい。


詩編第139編より【口語訳】以下は1~5節までを抜粋。


「主よ、あなたはわたしを探り、わたしを知りつくされました。


あなたはわがすわるをも、立つをも知り、


遠くからわが思いをわきまえられます。


あなたはわが歩むをも伏すをも探り出し、わがもろもろの道をことごとく知っておられます。


わたしの舌に一言もないのに、主よ、あなたはことごとくそれを知られます。


あなたは後ろから、前からわたしを囲み、わたしの上にみ手をおかれます。」―――以降24節まであり。



7)神との出会いの昂揚:


イエスとの出会いは感情の昂揚をもたらす。この高揚感は、イエスとの出会いをリアルに感じるときにはいつでも出現する。しかし保存は利かない。出会いの真正さが失われれば、昂揚感はすぐに消失してしまう。


「信仰」とよばれる事態は、この出会いの真正さと深く関係する。すなわちイエスとの出会いがいつまでも新しい時、その度ごとに私たちに昂揚感をもたらしてくれるとき、その信仰は生きているといいうる。


逆に出会いというと、すぐに自分が経験したすばらしい出会いの記憶を思い出してみたり、あるいは自らの今ここでの出会いではなく、出会い一般についての整然とした知の方に関心が向いてしまったりするとき、「信仰」をもつ人(すなわちキリスト者)は危うい道を歩き始めているかもしれない。そのような反応を示すとき、その人は出会いの記憶やそれについての知が出会いそのものに代替すると考えているのかもしれない。


出会いそのものは自分にとってはもうすでに確定した出来事だとの安心感があるのではないか。だが、出会いについての記憶や知が、出会いそのものを代替しないことは自明であろう。記憶や知は、イエスとの出会いという、人格の深部で生じた出来事を知性の言葉に変換したものにほかならず、保存は利くかもしれないが、出会いそのものとは以て非なるものだからである。記憶や知には、真正な出会いに特徴的な感情的昂揚が欠けているのである。(参考聖句:ルカによる福音書11章25節)



8) 教会学校などでお話しするときの基本的態度としては、「キリスト・イエス、聖霊、神様を聖書の記述を通して紹介することである。教師が、「教える」というような傲慢な態度で接することはできないはずであろう。


つきつめれば、感謝と証が基本であろう。その時、音楽は大変素直な表現と感情を与えてくれる。


いつも神の恵みを感じることができる感性をもって日々の生活を送りたいものである。




参考に:1944年6月のD-Dayの時のヨーロッパの兵士の言葉


神よ、もう少しで敵と戦います。もし死ぬ運命にあるのならば、何一つ懇願することはなく、死を受け入れます。自らの信ずるものに最善を尽くしたという思いを胸に、やすらかに死ねますように。」


以上