「イエスと一緒に」★
キリスト再臨(天から地上へ)前に死んだ兄弟姉妹はどうなるかとのテサロニケ教会の心配に応えた箇所。
教会員全員がこの再臨にあずかることが信じられていた時代、それが起こる前に死ぬ者が出るという想定外の出来事が起きた。さあ、たいへん。教会は、それらの人たちはどうなるのかと心配しつつ、かなり深刻な状況に陥る。それを知ったパウロは嘆き悲しむ必要のないことを語りつつ、信仰の本質を語る。
まず「イエスを信じて眠りをついた人々」は再臨のキリストが現れる時、「イエスと一緒に」導きだされる(復活する)のだから大丈夫とし、その根拠と言えるイエスの十字架と復活を語る。
続いて、「主が来られる日まで生き残るわたしたち」が「眠りについた人たちより先になる」ことは「決してありません。」と断言する。このようないわば、絶対的な安心を語った上で、では「再臨」とはどのようにして実現するかの説明に入る。
まずは「再臨」そのものの出来事。「号令の合図」、「大天使の声」、鳴り響く「神のラッパ」の後、「主ご自身が天から降って」来る。そして、いよいよ、「再臨」の主による救いが断行される。「キリストに結ばれて死んだ人たちが」復活し、「わたしたち生き残っている者」が「空中で主と出会うために」共に「雲に包まれて引き上げられます。」
教会の兄弟姉妹はこのパウロの説明に安心を与えられ、心配は吹き飛ばされた、初代教会の信仰の確信である「いつまでも主と共にいる。」ことがテサロニケの信徒に実感されたと思う。
パウロはこれらを「主の言葉に基づいて」伝えた。だからこそ、教会の心配を吹き飛ばし、新たな力を与え、兄弟姉妹の励まし合いが可能とされたのである。
私たちは信仰生活で繰り返し、不安に陥る。しかし、それらは、教会の牧会活動において受け止められ、主のみ言葉を受け止め直す時のために役立てられる。そして、何よりも「イエスと一緒」にあることが実感されるのである。