「バイブルクラス」が行われました。

Bible class on Saturday, June 7, 2014

6/7)のバイブルクラスの出席者は4名でした。

今日の聖書の箇所は、マタイによる福音書の13章の24節から29節までです。

前回と同様にイエスのたとえ話が続きます。今学んでいる聖書"The Message"に記された小見出しは、"The Meaning of the Harvest Story"(収穫のたとえ話の意義)と" The Curtain of History"(歴史の終焉)の二つになっていました。一方、普段親しんでいる新共同訳聖書の方では、「毒麦」のたとえ、「からし種」と「パン種」のたとえ、たとえを用いて語る、「毒麦」のたとえの説明、という具合にずいぶん小刻みに小見出しが記されています。

ところで聖書に記された「毒麦」という麦が実際に存在するのでしょうか。毒麦とはなんことでしょうか。今日のバイブルクラスでは、皆さんとそんな話題で盛り上がりました。ちなみに、The Messageでは「毒麦」に替えて"thistles"アザミとう表現になっていました。毒とアザミでは、だいぶ印象が違ってきますが、皆さんの意見では、「毒の麦とは、実のならない空の穂をつけた麦の事ではないか」や「アザミの花は棘があり、あまり良い印象は無く、上等な草花として扱われないから」などありました。

また、帰宅後に毒麦について調べたところ、実際に毒性をおびた麦の情報を見つけました。それは、麦そのものに毒があるのではなく、麦にカビのような菌が付着し、それが毒素を持ち、家畜が菌の付着した麦を食べると、中毒症状を起こすことがあるそうです。

さて、今日のイエスのたとえ話しの学びで、また新たに与えられた御言葉の理解や気付きがありました。

聖書の中で、イエスはあらためて「毒麦」のたとえの説明をなさったことが記されています。良い種をまく人は人の子、すなわちご自分自身・イエスキリスト、畑は世の中、毒麦あるいはアザミを悪魔・敵であるとあります。

"The Curtain of History"

36
Jesus dismissed the congregation and went into the house. His disciples
came in and said, "Explain to us that story of the thistles in the
field."

37-39
So he explained. "The farmer who sows the pure seed is the Son of Man.
The field is the world, the pure seeds are subjects of the kingdom, the
thistles are subjects of the Devil, and the enemy who sows them is the
Devil. The harvest is the end of the age, the curtain of history. The
harvest hands are angels.

 

"The harvest"
を、今私たちの教会がこの世に果たしている成果と云う視点でとらえてみたらどうかとう考え方です。福音宣教という良い種をまく役割を担うことが教会の第一
の使命です。良くも悪くも種をまかれる畑がその教会がコミットしている地域や社会、そしてその教会そのものであるコミュニティーです。そして、この毒麦の
たとえ話しのように、畑の主人(イエス)は刈入れの時、すなわち収穫の時が決定的に重要であることを訴えています。収穫の時に明らかになった良い麦と毒麦
とは仕分けされ、毒麦は括られ、焼かれ処分されるのです。聖書の中で意図されているのは、終末と同時に最後の審判の時の到来でしょうが、このことは、極め
て企業の行う決算にも似ているように思います。特に大きい企業は様々な事業を展開しますが、現実は成果の出るものもあれば、そうでないものもあります。企
業は定期的にそれぞれの業績を反省して、その後の取り組み方を決定しステークホルダーと云われる利害関係者に明らかにします。それが決算です。

キリストの福音宣教を使命とする教会も企業のような決算を取り入れるべきかもしれません。自らの種蒔きの収穫の時に備える意味でも。