「新しいことを創造する」
エレミヤ書31章
南イスラエルのユダ王国滅亡を回避するために働いた預言者エレミヤの物語。
古代オリエントを支配する大国バビロニアは周辺諸国を傘下に納めるべく勢力を拡大していた。その餌食のひとつが弱小国のユダであった。そのような国家の危機的な状況で預言者として立てられたのがエレミヤであった。
彼はバビロンとの衝突は回避すべきであると語り続けた。それはこの大国により、すでにユダが反抗できないようにされていたからであった。具体的に言えば、王族、政府高官、兵士約1万人が捕囚されているだけでなく、要塞を作る建築技術者、兵器製造職人の「鍛冶屋」も連行されていた。もはや、戦うことができない状態にあった。
ところが、こうした現状に対する認識を欠いた預言者ハナンヤに先導されユダ王国は勝てる見込みのない無謀な戦争に走っていったのである。この背景には古代オリエント世界で500年以上も続いたダビデ王朝に対する過信があったのかもしれない。結果は惨憺たるものであった。
バビロニアの軍隊はユダ王国が絶対に守られると信じられていた神の守りの象徴であるエルサレム神殿に火を放った。栄華をきわめたユダ王国の中心であるエルサレム神殿は炎上して廃墟になった。エルサレムは徹底的に破壊された。しかも第一次捕囚の時とは異なり、ユダ王国は国家として存続することを許されず、バビロニアの属州に組み込まれた。
このとき、エレミヤは「だから言ったではないか」とは言わずに、「希望の明日」を語った。それが「主はこの地に新しいことを創造された。」との約束であった。この「新しいこと」とはこれまでの繰り返しではない、前例にない内容である。それは続く「女が男を保護するであろう。」との言葉にも示されている。
これまではイスラエルが犯した「罪」に対して神が「罰」を下され、契約が更新されてきた。しかし、このような「罪と罰」の繰り返しではない、「罪」と「赦し」の世界が必要とされていることをエレミヤは語ったのである。それは「新しい契約」という言葉にも示されている。
初代教会はこのエレミヤの預言を受け止め、「新しい世界」を実現された方が主イエス・キリストであるとした。私たちもそのように受け止め、「罪赦されて生きる新しい世界」を構築したいと思う。それは昨日の、おとといの、この前の繰り返しではない世界の構築であり、私たちの日々の小さな証の積み重ねによりなされてゆくものであると思う。