「起きよ!光を放て!」

旧約聖書イザヤ書60章1節~7節

ユダヤの民はバビロン捕囚から、エルサレムに帰還し、神殿建設を始めるがなかなか進まない中、事態を打開する「主の栄光」の希望が預言者イザヤにより語られる個所。
 バビロン帝国を滅ぼしたペルシャ帝国は支配されていたすべての民族の祖国帰還と民族固有の宗教の復活を許可するという、「寛容政策(「信仰の自由」)」などを実施する。これにより、ユダヤの民はエルサレムに帰還し、イスラエル国家再建の中心となる神殿建設を始める。
そのところを、旧約聖書のエズラ記(3章)は以下のように記している。
「エルサレム神殿に帰った翌年の第二の月に、シェアルテイエルの子ゼルバベルとヨツァダクの子イエシェアは彼らの他の兄弟たち、祭司とレビ人、および捕らわれの地からエルサレムに帰ってきたすべての人と共に仕事にとりかかり、20才以上のレビ人を主に神殿の工事の指揮にあたらせた。」
しかし、これまで経験したことのない飢饉が国土を襲い、また、現場総監督が行方をくらましたことなどにより、工事は約20年にわたり中断を余儀なくされた。
この背景には、バビロンで生まれた安息日礼拝という神殿礼拝に代わる宗教生活が始まり、何よりもこの日がエルサレム帰還後、会堂(シナゴーグ)に集まり神を礼拝する日となったことにもあると思われる。
 だが、国家再建には、ユダヤ民族の要となる宗教施設が無くてはならない。そのためにイザヤは民を起きあがらせる「主の栄光」を語る。また、神殿建設中断の大きな原因のひとであった経済問題の解決が「宝」「富」(5節)ばかりか、イスラエル以外の諸外国の支援もあり解決されることが約束される。
 2014年、起き上がることを困難とさせる現実が私たちにこれでもかこれでもかと襲いかかるかもしれない。その都度、起き上がることを可能にする「主の栄光」なる「世の光」であるキリストの光に目覚め、気づかされ、「命の光」をもたらされた者として立ち上がり「光」を放つものでありたい。
 このキリストの光は主の復活日の礼拝において繰り返し示され、私たちに与えられるのである。