本の紹介(「そこに僕らは居合わせた」)
「そこに僕らは居合わせた」グードルン・パウゼヴァング著、高田ゆみ子訳 みすず書房 2012年7月17日初版
「語り伝える、ナチス・ドイツ下の記憶」というサブタイトルがつけられた本作品は、ナチス支配下に生きた10歳から17歳までの普通のドイツ人少年少女を巡る20篇の短編である。第1話の「スープはまだ温かだった」には、ユダヤ人家族がリュックサック一つだけを背負って連行される時、それまでは仲良く暮らしていた隣人たちが、よってたかって残された家財道具を収奪し、食卓に残っているまだ温かいスープを食する様子が描かれるなど、その内容は衝撃的である。本書には著者の実体験や実際に見聞きしたエピソードが色濃く反映されており、限りなくノンフィクションに近いフィクションである。
ナチスが支配した時代、子どもたちはどのような状況に置かれていたか?。
訳者はあとがきで次のように記している。「1926年に設立されたヒトラー青年団(ヒトラーユーゲント、ドイツ女子青年団等)には、10歳から18歳の男女全員の加入が義務づけられた。学校ではユダヤ人生徒は追放、教師も解雇され、カリキュラムには人種学と優生学も加わった。ナチスは国家社会主義の精神のもとに、身体的、精神的、知的、道徳的、あらゆる面で子どもたちを教育していった。やり方は組織的で巧妙だった。いかに教育が重要な意味を持つか、ナチスはよくわかっていたからだ。子どもたちは学校や青年組織だけではなく、両親や祖父母といった身近な人々からもナチスになる教育を施された。祖国に命を捧げることが栄誉であると教育されたのはドイツだけではない。日本でも同じように教育を通して「少国民」や「軍国少年少女」が育てられたことは言うまでもない。」
1928年にボヘミヤ(現在のチェコ中西部、同時はドイツ領)に生まれた著者は、そんなドイツの軍国少女であり、当時17歳だった彼女はヒトラー死亡のニュースを聞いて絶望のあまり涙を流したという。戦争終結とともにボヘミアのドイツ人は国外追放となり、1家は西ドイツへ引き揚げ、その後教職についた彼女はドイツ学校の教師として南米に渡った。小学校教師を続けながら執筆を始めた頃のテーマは、南米での体験を踏まえた第三世界や貧困問題だったが、80年代に入ると平和や環境問題へとテーマが広がり、90年代になってついにナチズムとの取り組みを始め、ドイツの「負の歴史」をテーマにした作品を発表し続けている。創作の原動力は何か、との問いに、彼女は「私の世代の人たちはもう大半が亡くなってしまいました。私もいつまで執筆活動ができるかわかりません。でも、なにか取り返しがつかないことが起こってから、孫世代に〈あの時、なにをしていたの? なぜなにも言わなかったの?〉と言われたくない。その気持ちです。」と答えている。「負の歴史」こそ敢えて語り伝える必要があり、過去から学び、過去を知ったうえでこそ新しい未来を構築できるという強い思いがあふれている。日本の歴史修正主義者たちに聞かせてやりたい言葉である。
第2次大戦の終盤、ロシア戦線に送り込まれて左手を失い、郵便配達員になった青年の目を通して語られる銃後のドイツ人の生活を描いた「片手の郵便配達人」、福島第2原発事故を彷彿させる「みえない雲」もお勧め。
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