―☆ オアシス ☆― 2017.5.14

本所緑星教会説教 ヨハネによる福音書14章1-11節  20170514
「道・真理・命」 岡田恵美子牧師
 
今週の御言葉
「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。」
-ヨハネによる福音書14章1-11節-
 「道」とは、新約聖書では、道、道路、通り、歩行、旅といった意味から、宗教的な意味での道(神への道、接近するための道、神の願う道、生き方)があります。
ヨハネによる福音書には全部で4回のみで(そのうちの3回は本日の箇所の、14章4,5,6節に一回ずつ)、あとは1章23節「主の道」に使われています。
つまりヨハネによる福音書では、「道」という言葉を非常に限定的に使用し、「(イエス・キリストの父なる)神に通ずる道」というのみに使用しています。ですから、ヨハネによる福音書では、父(なる神)への道という意味になるのです。
 「真理」とは、隠されていないこと、誠実という意味があり、さらに新・旧約聖書でこの言葉が用いられる時には、堅固なもの、負荷に耐えるもの、信頼に値するもの、有効なもの、永続的なものという意味が加えられます。
ヨハネによる福音書ではこの言葉は、25回用いられ、「真理」が語られるとき、次の言葉等と一緒に語られます。恵み、霊、自由、悪魔(に対抗する言葉として)、御言葉、聖なるという具合です。
つまり「真理」とは神に属するものであることが語られています。いうなれば、1章で語られるように「真理」とは、イエスさまご自身をあらわすものなのです。
 「命」とは、聖書では、いつも神の賜物として語られます。
ヨハネによる福音書では36回用いられ、このうち17回は、「永遠の」という形容がつき、「永遠の命」という言葉で用いられています。
旧約聖書で語られていたのは、神のみが永遠の命を持っているということでありましたが、ヨハネによる福音書を読むと、信じる者には、この永遠の命が与えられるとあります。
この永遠の命というとき、「死んだ後」という人間の死後の世界のみを指していっているのではありません。人間の時間軸によってのみ永遠は定義されないのです。
永遠というのは、神の時間軸であり、いうなれば、人間の生きるところに、介入される神の時なのであります。それを私たちは、味わいながら生きているということです。
それは、信仰において生まれる時間軸であり、そして、共に居られる神を実感することになります。
神さまのメッセージは、いつもあなたと共にいる、というメッセージであり、あなたを愛しているというメッセージなのです。
(岡田恵美子牧師)