遠藤周作『イエスの生涯』 勉強会①

 10月2日、青年会では遠藤周作の『イエスの生涯』1~3章をテキストに勉強会をもった。

 ヨハネの教団に身を投じた、28歳のイエス。ヨハネのもとで洗礼を受け、教団の者たちとともに生活をした。そしてヨハネに付き従い、彼の教えに耳を傾け続けた。
 イエスは聖都エルサレム神殿中心主義、ユダヤ教主流派を糾弾するヨハネの声には共鳴していた。しかしヨハネと共感しなかった部分があった。それは神のイメージである。ヨハネの神のイメージは、怒りと裁きと罰、強い父親であった。それは旧約に示されたごとく、自分に従わない街を滅ぼし、民の不正を怒り、人間たちの怒りを容赦なく罰する神である。イエスは思った。それは本当の神の姿なのだろうか。ナザレで見てきた悲惨な運命の中にある人々、その日の糧を得るのが精一杯の暮らし、病人たちの嘆き。そのような者たちに神は怒り、裁き、罰しているだけなのか。彼は悩んだ。

イエスが自分自身の歩むべき道を決定する上で、重要になるのが有名な「悪魔の誘惑」である。遠藤はここで一つの仮説を立てている。「悪魔」というのは当時ユダの荒れ野を拠点としていたエッセネ派クムラン教団を示しており、彼らから思想的対決を求められたのではないだろうか、というのである。クムラン教団はユダヤ教主流派から弾圧され、この地に隠遁していた。彼らの求めるメシアは地上の支配者であり、イエスの考えたような罪人を救うという思想はなく、仲間以外への愛(敵への愛)にも言及はしていない。

「この石をパンにしてみせよ」、クムラン教団の指導者たちはイエスに迫る。パン(地上の王国)は石(救いの言葉)よりも有効であろうと主張したのである。そして「これらのすべてをお前に与えよう」。いずれ実現されるであろうクムラン教団のエルサレム帰還、それにお前も参加せよと。しかしイエスは断る。それに同化できぬ自分を見出されたのである。

彼等の誘いを断ったとき、イエスは自分の進むべき道を知らされた。そして40日間の断食と祈りを終え、ヨハネのもとに戻ったとき、そこに何が足りないのか、確信した。

それは「やさしさ」であった。「愛」であった。

クムランもヨハネも悔い改めと神の怒りは説いたが、愛は語らなかった。今まで出会ってきた苦渋の人生を送っている者たち。その者たちを神はただ怒り、罰するためだけにいるのか。神はそれらの人間たちに愛を注ぐためにいるのではないだろうか。

『幸いなるかな 心貧しき人 天国は彼等のものなればなり 幸いなるかな 泣く人 彼らは慰めらるべければなり』

やがて彼が語った言葉は、優しい母の抱かれるような神のイメージを強く押し出していくのである。イエスが見出したこの「愛なる神」。その最初の宣言は意外な人物に対してなされることとなる。ヘロデ・アンテパスはユダヤ教団からの働きかけを受け、ヨハネを捕らえ、殺害した。ヨハネ教団の重要人物とされていたイエスにも危険が及び、その回避のためガリラヤに戻られる。その際、イエスは歩き慣れたジェリコ・ヨルダン川経由ではなく、思い切ってサマリアを通って行った。そこである女に出会う。イエスは次のように語る。

『私を信じなさい。あなたがたがこの山でもエルサレムでもない所で、父を礼拝する時がくる』

エルサレム神殿よりも、もっと高いもの、もっと深いものがある。ユダヤの神殿体制よりも、クムラン教団のエルサレム帰還よりも、ヨハネの裁きと怒りの神よりも、もっと大切なもの。愛の神がある。その宣言をイエスは弟子たちにではなく、今日初めて会ったサマリアの女にしたのである。弟子たちはこの話は聞いていなかった。弟子とイエスの間にはまだまだ越えなくてはいけない「誤解」という溝があることを、イエスは知っておられたのである。

イエスの歩みを語る上でこの「誤解」は欠かせないと遠藤は言う。弟子たちはイエスに反ローマ運動の指導者、また堕落したユダヤ教の革命者としての資質を見ていた。「わたしたちはメシアに出会った」。彼らは限定された夢をイエスに投影し、そう叫ぶ。そしてこの誤解はこの後付き従うようになる弟子たちにも変わらず共通し、イエスはその旅の最後までこの誤解と相対することとなる。

のようにしてイエスと民族主義運動の関係性は、ほとんどの福音書が書くのを躊躇っている。それは書かれた当時、ユダヤ反乱の鎮圧直後であり、原始キリスト教会へのローマの弾圧を防ぐためであったと考えられる。しかし私たちは、イエスの初期時代、特に民族運動との関連を無視することはできないはずである。なぜならイエスはそこで悩み、神を感じ、伝道姿勢の根本を創り上げたからである。聖書に書かれていない初期時代を探ることが、イエスを知る上で重要な役割を果たすのである。