「"よみがえりの命"と出会う」(イースター礼拝)★

マルコによる福音書16章1~8節は、「復活の証人」という十字架後のミッションの始まりを担うマグダラのマリアたちの物語。
マリアたちは安息日が終わりイエスの遺体に「油を塗りに行く」ために必要な「香料」を買い求め、「朝ごく早く」墓に向かった。
それは「だれが墓の入り口からあの石を転がしてくれるでしょうか。」と、油を塗るという作業ができないかもしれないとの不安を抱いての歩みであった。
しかし、そのような不安を吹き飛ばし、彼女たちの作業が行えるように「石は既にわきへ転がしてあった。」のである。どんなにか嬉しかったことか。
早速、遺体に油を塗る作業のために墓の中に入った。すると、彼女たちをひどく驚かせる事態が待ち受けていた。
墓の中にイエスの遺体はなく、「白い衣を着た若者」が彼女たちに遺体が納められた場所を示しつつ、十字架のイエスが復活されたと語ったのである。
その上で、若者は彼女たちに「さあ、行って、弟子たちとペトロに告げなさい。『あの方は、あなたがたより先にガリラヤへ行かれる。かねて言われたとおり、そこでお目にかかれる』と「復活の証人」となる課題を与えた。だが、「婦人たちは墓を出て逃げ去った。」それはこの出来事に「震え上がり、正気を失っていた。」ためであった。しかも、その上「誰にも何も言わなかった。」
「はい、わかりました。ペトロたちのところに行って、イエスは復活されて、先にガリラヤで待っていると伝えましょう。」とはならない。
そして、彼女たちも逃亡者であることが暴露されるが、復活されたイエス自身が現れ、彼女たちは「復活のメッセージ」を伝える人とされる。
私たちも、彼女たちに続き、「復活の証人」にされてゆくのである。


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