「洗礼者ヨハネの受難」(東京大空襲を覚える礼拝 )★
「東京大空襲を覚える礼拝」において、これは権力による戦争犯罪であり、今後、この種の同じ過ちが繰り返されないように見張ることを教会の使命とすることが大切である。
また、本所緑星教会はこの空襲により、礼拝堂を失うだけでなく、廣野捨二郎牧師を始め多くの教会員が殺されたことも覚え続けなくてはならない。
さて、イエスの弟子たちに宣教の使命が与えられ、活動を展開したことで、イエスの名が知れ渡ってゆき、人々は「洗礼者ヨハネが生き返った」、「彼は(預言者)エリヤだ」、「昔の預言者のような預言者だ」などと話題にするようになった。
このことが権力者ヘロデ王の耳に入り、彼はイエスについて「わたしが首をはねたあのヨハネが生き返ったのだ。」と言った。彼はイエスの働きがヨハネのそれに通じるものであることを感じていたのだろう。
ヘロデはイエスについては「わたしが首をはねたあのヨハネが生き返ったのだ。」と語った。マルコ福音書はこれを踏まえヨハネ殺害の経緯を語る。
このヨハネは父ザカリヤがアビヤ組の祭司であり、母エリサベツがアロンの家系ということから、祭司の血筋の人物である。
彼はどうも神殿が、その本来の使命を果たしていないと判断して、神殿で行われていた罪の赦しの儀式に代わるものとして、ヨルダン川でバプテスマを執行した。つまり、彼は祭司の職から離れ、神殿体制に反旗を翻し、それに代わる場を設定したのである。
このヨハネが、ヘロデが自分の兄弟フィリポの妻ヘロディアと結婚したことは律法に違反するとヘロデ王を批判したのである。これに対し妻ヘロディアは「ヨハネを恨み、彼を殺そうと思っていたが、できないでいた。」
そのわけは「(夫)のヘロデが、ヨハネは正しい聖なる人であることを知って、彼を恐れ、保護し、また、その教えを聞いて非常に当惑しながらも、なお喜んで耳を傾けていたからである。」
ところが、ヘロディアにとり、「良い機会が訪れた」のである。
それは「ヘロデが、自分の誕生日の祝いに高官や将校、ガリラヤの有力者などを招いて宴会」が催した時であった。
「ヘロディアの娘が入って来て踊りをおどり、ヘロデとその客を喜ばせた。」のである。ヘロデ王は上機嫌となり、娘に「欲しいものがあれば、何でも言いなさい。お前にやろう」と言い、さらに「お前が言うならば、この国の半分でもやろう」と固く誓ったのである。少女は母のところへ行き、「何を願いましょうか」と聞いたところ「洗礼者ヨハネの首を」と言われた。そこで王のところへ行き、「今すぐに洗礼者の首を盆に載せて、いただきとうございます。」と願った。
「王は非常に心を痛めたが、誓ったことではあるし、また客の手前、少女の願いを退けたくなかった。」。そこで王は衛兵に命じ、牢の中でヨハネの首をはね、それを盆に載せて、少女に渡し、彼女はそれを母に渡したのである。
このヨハネ殺害、イエス殺害も共に権力による犯罪であった。二人ともも権力が罪を犯さないような「見張の使命」に生きたことで殺されたのである。
東京大空襲を覚える礼拝で教会はヨハネ、そしてイエスが担ったこの「見張りの使命」に生きることが大切であることを再確認しなくてはならない。