「聖なる無駄遣い」★

マタイによる福音書26章1節~16節は、イエスの受難物語が始まる時に「極めて高価な香油」をイエスの頭に注いだ女性(弟子)の話。
ユダヤ教最大の祭りである「過越祭」の二日前、イエスは弟子たちに「人の子は、十字架につけられるために引き渡される。」と予告をされた。一方、ユダヤ当局は最高責任者の大祭司の所に集まり、イエス殺害計画の相談を始める。
このようにイエスの受難が具体化してゆく時、イエスこそ「救い主(メシア)」である、ということを証する「一人の女」がいた。
それは「イエスがベタニアで重い皮膚病の人シモンの家におられた時」のことであった。その女は「極めて高価な香油の入った石膏の壺をもって近寄り、食事の席についておられるイエスの頭に香油を注ぎかけた」のである。
このいわば突然の出来事に、弟子たち(男性)は憤慨して「なぜ、こんな無駄遣いをするのか。高く売って、貧しい人々に施すことができたのに。」と言った。
しかし、イエスはこれを知って、彼女の行いは私の「葬り(十字架)の準備」であると、その意味を明らかにされた。
そして、さらに「世界中どこでも、この(十字架の)福音が宣べ伝えられる所では、この人のしたことは記念として語りつたえられるだろう。」と言われた。弟子たち(教会)が語り続けなくてはならないことであることが明らかにされる。
これにより、「十字架のイエス」が救い主キリストであるということが世界中に宣教されてゆくために、欠かせない出来事として語り続けられていったのである。