「平和の計画」★
南イスラエルのユダ王国がバビロニアとエジプトという超大国にはさまれ、これらの国とどのように付き合ってゆくかが課題であった時代、預言者エレミヤは首都エルサレムで活動する。
ユダ王国はヨシヤ王がエジプトに殺され、短い期間だが、エジプトの支配の下に置かれた。ヨシヤ王の息子であるヨアハズが後継者となるが、エジプトはその王をわずか3カ月でその地位から引きずり下ろし、ヨヤキムという名の別の息子を王とする。いわばエジプトの言いなりになる傀儡政権である。
しかし、バビロニアがエジプトを破り、シリア、パレスチナの支配者となることで、ユダ王国はほぼ自動的にバビロニアの支配の下に置かれた。
このバビロニアに対して、エジプトにより王の地位を与えられたヨヤキムは、当初は「貢物」を差し出し忠誠を尽くすそぶりを見せるが、やがて、反逆を試みる。自分をユダの王位につけてくれたいわば、恩人であるエジプトに寝返る。しかし、反乱を鎮圧され、2度と同じことを起こさないように、「王族、高官、兵隊」そして、武器をつくる鍛冶職人、陣地を構築する技術者などが捕虜としてバビロニアに連行される。これが第一次バビロン捕囚である。
バビロニアはこの段階ではユダ王国そのものを滅ぼすことはせずに、どのような動きをするか、監視する。
その後、首都エルサレムでは、政治抗争が展開される。バビロニアに対して武力をもって抵抗すべきであるとする主戦論、つまり、タカ派である。一方で、そんなことをすればユダ王国は滅ぼされる。バビロニアに武力をもって抵抗することはユダ王国の自殺行為であるとする慎重論、つまり、ハト派である。この両派が政治抗争を繰り広げる。バビロニアに武力で対抗することは国家が滅びることになると主張するハト派の代表格、それが預言者エレミヤであった
エレミヤはバビロニアによる支配はユダが犯してきた罪に対する神の裁きであるという信仰的な意味を語り続ける。
また、バビロニアの王について、「わたしの僕バビロンの王ネブカドレツァル」(25:9)とバビロニアの王は神の僕としてユダ王国を支配しているだけで、世界の支配者はヤハウェであると語る。
エルサレムでの政治抗争ではバビロニアと戦うべきとする主戦論、タカ派が優位となってゆき、ユダ政権はバビロニアの支配を受けている周辺諸国と密議して、また、バビロニアとの戦いに際して、エジプトの援軍を求めることを決めるなど、戦争へと向かってゆく。そして、バビロンとの戦いに踏み切る。結果は惨たんたるものであった。ユダ王国は徹底的に滅ぼされ、エルサレム神殿に火がつけられ、炎上する。栄華をきわめたと言われるエルサレムは廃墟となる。単独の王朝としてはオリエント世界に他に類を見ない500年近い支配を誇ったダビデ王朝はついに断絶する。
このユダ王国滅亡の時、エレミヤはバビロンにではなく、エジプトに連れてゆかれた。
この国家滅亡に至る中、エレミヤが捕囚の地バビロンにいる民に書いた手紙がエレミヤ書29章である。目的はユダ王国滅亡、バビロン捕囚という最大の危機を乗り越える希望を与えることであった。まずは、祖国を追われ、遠いバビロンに連れて行かれた民に、預言者や占い師たちは慰めとはならない、それに「だまされてはなりません。」と警告する。
この後、主の約束の言葉として「平和の計画」が語られる。「70年の時が満ちたならば、わたしはあなたたちを顧みる。」「あなたたちをこの地に連れ戻す。」これが「恵みの約束」であった。
バビロンに連れてゆかれた民はイスラエル帰還後、「将来と希望」を与える「平和の計画」の担い手となるとエレミヤは約束したのである。
21世紀の今日、教会は世界に「将来と希望」を与える「平和の計画」に担い手とならなければと思う。