「信仰の土台」★
私たちは地震、火山、洪水などの自然(?)災害、また、「平和」が破壊されてゆく政治状況において「土台」を見つめ直し、再構築する課題を与えられている。
イスラエル史において「ヨシヤの宗教改革」は「律法」の発見により「信仰の土台」を受け取り直し、整備し、万全なものとする課題を担うものであった。
ユダ王国を実質的に支配下に置いていたアッシリア帝国が後継争いなどで弱体化し、若きヨシヤが王となり、「宗教改革」が可能となる状況が生まれた。そのような時、神殿修築現場から、「改革」の手引きとも言える「律法」の巻物が発見された。
王はその書を国民の前で朗読し、ヤーウェのみに仕え、この「律法」を「心を尽くし、魂を尽くし」て実行するとの「契約」を結び、ただちに大規模な宗教改革に着手する。
改革には2本の柱があった。
- 各地にあった「地方聖所」の廃止。
- 礼拝をエルサレム神殿に集中、限定する「祭儀集中」。
地方聖所は、ヤーウェ礼拝とそれ以前の伝統的な宗教的慣習が共存するような状況であり、またそのような所を国家の統制のもとに置くことは現実的に難しいと判断が下され、地方聖所はすべて廃止された。そして、ヤーウェ礼拝をエルサレムの国家聖所に集中し、限定するという、宗教を国家の統制の下におき、維持できるような監視体制が整備された。
しかし、この改革はヨシヤ王がアッシリアと並ぶ超大国エジプトとの戦いで殺されたことで未完に終わった。また、王の死後わずか20年ほどのうちにユダ王国が滅亡し、エルサレム神殿は破壊され、ユダの民はバビロンの捕囚となる。
しかし、ユダの民は倒され続けても、滅びなかった。何故か。「律法」という信仰の土台に立ち続けたからである。「倒れても滅びない」。それがイスラエル、ユダヤの民なのである。
わたしたちの「信仰の土台」はイエスを主キリストと告白する信仰。この「土台」に立ち続け「倒れても滅びない」信仰者でありたい。