「新しいぶどう酒」★
社会の常識を問い直すイエスのミッション(教会)にはたえず反発、誤解があった。
日常的な宗教行為として行われていた「断食」に関して「ヨハネの弟子たちは度々断食し、祈りをし、ファリサイ派の弟子たちも同じようにしています。しかし、あなたの弟子たちは飲んだり食べたりしています。」と問題にされた。それに対し、イエスは、最も大切な断食は「花婿(救い主イエス)が一緒にいる時」でなく、「花婿が奪い去られる時(十字架)」にこそ、なされるべきであると語る。そして、誰もが「そうだったのか」と納得できる、分かりやすいたとえにより、新しい時代の到来を語る。
「新しい服から取った継ぎ切れも古いものには合わないだろう。」
「古いもの」とはイエスに死刑判決を下した裁判長、大祭司をはじめとする古い律法主義などを象徴する。「古いもの」には合わない。イエスの新しさは歴史に新しい出来事を創造するものであった。
「新しいぶどう酒」はイエスの十字架上の出来事を暗示する。新しいぶどう酒が古い皮袋をやぶり、流れ出るように、新しいいのちは十字架上のイエスの肉体という古い皮を破り、流れ出る。それにより、イエスによる救いの業が地上で完成する。ぶどう酒はイエスの十字架の血を象徴する。また、たとえでは、新しいぶどう酒を旧い皮袋にいれることで、イエスが旧い社会を新しくしてゆくことを暗示する。
しかし、ユダヤ社会はこの「新しさ」を受け入れることができない。イエスはそうしたユダヤ社会に説明責任を果たす。「古いぶどう酒を飲めば、誰も新しいものを欲しがらない。『古いもののほうが良い』というのである。」この「古いもののほうが良い」とある「良い」は「飲みやすい」とも訳すことができる。これまで飲んでいたぶどう酒を飲みなれているので、古いものが「飲みやすい」わけである。
ここで言われる「古いもの」とは当時の律法に縛られている古い社会を指し、「新しいもの」とはイエス自身のこと。これまで通りの社会でいい、改革は必要ないというのでは現状のユダヤ社会の問題に気づけないのである。そこで、社会の問題に気づき、よりよい社会をつくろうではありませんかと呼びかけるのである。
イエスとその弟子たち(教会)の振舞いはよりよい社会の形成を求め、現状に大きな問いを投げかけたのであった。