「わたしの内に生きるキリスト」★

 
紀元1世紀に生きた初代教会は、いわば「ユダヤ教キリスト派」から、キリストの教会となるための歩みにおいて「律法」から自由になることを目指して歩んでいた。しかし、ユダヤ教総本山のエルサレムにある教会は、ユダヤ民族主義の高まりなどにより、自由な歩みから後退せざるを得ない状況に追い込まれていた。そうしなければ、教会の存立そのものが立ち行かなくなる恐れが増していたからであった。

一方、アンティオキア教会では、律法から自由となる証とも言えるユダヤ人と異邦人の共同の会食が始まっていた。ところが「ケファ(ペトロ)はヤコブ(エルサレム教会の指導者)の下からある人々が来るまでは、異邦人と一緒に食事をしていたのに、彼らがやって来ると、割礼を受け入ている者たちを恐れてしり込みし、身を引こうとした」。ペトロはアンティオキア教会にやってきたエルサレム教会のメンバーの報告を受け、ユダヤ人信徒の安全に関しての現実的な判断の下、それまで行ってきた異邦人との会食を止めたのである。

これに対し「キリストがわたし(教会)の内に生きておられる」ことを柱として伝道するパウロは、ユダヤ人と異邦人の混成されたアンティオキア教会における会食でペトロがとった行動を非難した。

ペトロは律法についての原理的な理解の点ではパウロと大筋で一致していた。しかし、エルサレム教会の信徒の安全に関して現実的な判断を重視した。パウロはあくまで原則に即して行動することを求めた。ペトロは「律法に対して律法によって死にきれなかった。」がパウロは「死にきれた」と言えるかもしれない。

パウロが語る信仰の原則、「私たちは神に対して生きるために、律法に対しては律法によって死んだのです。」という、律法の制約から解放されたLibertyを私たちは与えられた、しかし、freedom(他者とのかかわり、交わりにおける自由)を生きるに際しては個々の現実に即した判断が必要だと思う。その意味で、教会の方向性を考える時、ペトロとパウロ双方の姿勢が大切であると思う。