「悪の世に打ち勝つ信仰」★
ローマ帝国の時代にイエスを主と告白して生きる小さな群れは、繰り返し危機に遭遇した。
教会は「イエスをメシアであると公に言い表す」ことで「会堂」から追放される世(ユダヤ社会)に生きなければならなかった。しかし、ヨハネは手紙で「イエスをメシアであると信じる人は皆、神から生まれた者です。」と「悪の世」を生き抜くための希望を語る。
この希望に生きるとは「互いに愛し合う」掟を守ることであり、イエス・キリストにより罪を赦された喜びをもって、互いに愛し合うことである。そこに信仰の力を得ることは難しいことではないとされるが、実態はそれとはかなりかけ離れ、教会内の交わりは壊れそうになっていた。そこで「神から生まれた者」つまり、神の愛の下にあるものは「互いに愛し合う」ことを掟とする信仰者となること、これが教会に与えられた課題でもあることが訴えられた。
ヨハネの手紙は教会内において「互いに愛し合う」関係づくりに励むことを求めた文書。
これは今日、すべての被造物の関係において求められていることであり、それこそが「キリストの平和」であると思う。この「キリストの平和」の証人として、ローマ帝国の300年余りに及ぶ激しい迫害の時代を生き抜き、「悪の世に打ち勝つ信仰」が全世界に伝えられていった。
教会がローマ帝国に公認された、いわゆる「ミラノ勅令」の1年後、314年、アルルで開催された教会会議である決議がなされた。それは「平時に武器を放棄するものに関しては、彼らが交わりから遠ざけられるべきことを定めた」という法令である。今や国家と教会の間に平和が支配している、そういう意味では「平時」であるのだから、キリスト教徒の兵士は兵士としての義務を果たすべきであって、逃亡兵は教会から罰せられるべきである。国家により保護を受ける立場になった教会は、法令によってキリスト教徒に兵役の義務を課すようになった。しかし、「非戦」の立場を明確にした神学者もいた。(「同伴者イエス」荒井献著343頁以下)
わたしたちは、敗戦後70年の「平和聖日」礼拝において、新たな戦時体制づくりがなされている今日の世に打ち勝つ信仰の証人として生きることをより鮮明にしてゆきたい。