「少しのものに忠実に」★

 
誰もが例外なく「天の国」(神の支配)の下に生かされていることを語るたとえ。

主人は、信頼する3人の「僕」たち全員に額は異なるが「それぞれの力に応じて」タラントンを預ける。(「五タラントン」「二タラントン」「一タラントン」)

主人は預けた「タラントン」を「少しのもの」と言うが、「一タラントン」とは、6000デナリオン。この額について、山口里子さんはご自身の著書「イエスの譬え話1-ガリラヤ民衆が聞いたメッセージを探る」で当時の労働状況に触れてこう言われている。「現実には、労働者は毎日仕事にありつけたわけではありません。年間で平均にして2日に1日の割合で仕事にありつけたら良いほうだったようですから、6000デナリオンを稼ぐには33年かかることになります。当時の人々の平均寿命は約30年でしたから、1タラントンを稼ぐには生まれた時から死ぬまでの年数が必要です。」(76頁)

主人はいわばそれぞれの僕の一生に責任を持たれたわけである。

清算の時、「五タラントン」「二タラントン」を預けられた僕はそれぞれ、商売で倍の儲けを出すのですが、「一タラントン」預けられた僕は出て行って穴を掘り、主人の金を隠しておいた。」ので、他の二人とは違った。彼は「ご主人様、あなたは撒かない所から刈り取り、散らさない所からかき集められる厳しい方だと知っていましたので、恐ろしくなり、出かけて行って、あなたのタラントンを地の中に隠しておきました。」

この僕は主人を「厳しい方」であることをよく知っていたので、預けられたタラントンをとにかく無くさないように、いわば土の中に「保管」していたわけである。「ご覧ください。これがあなたのお金です。」と差し出した。すると、主人は「怠け者の悪い僕だ。」と怒る。僕は予測していない事態におろおろしたのではないかと思う。たとえでは、この僕は最後には「タラントン」を取り上げられ、「外の暗闇」へ追い出されてしまう。

この「怠け者の悪い僕だ」以下の内容について、これが実際、イエスの口から出た言葉かどうか疑問に思う。

山口里子さんの「イエスのたとえ話」と題する書物の「はじめに」の一文に以下のようにある。―私たちは、福音書記者たちが編集した話を「イエスのたとえ話」と呼び、「イエスの教え」といって、実のところは、イエス自身のたとえ話、イエス自身のメッセージを学ぶという肝心なことを、してこなかったのです!-(11頁)

上記を踏まえると私はこの「怠けものの悪い僕だ」以下はイエス自身のメッセージになかった可能性が高いと思う。つまり、編集作業で付け加えられたのではないか。

このたとえの本来の主眼は誰もが例外なく、人の一生の給料に相当するタラントンを与えられている点にあると思う。