「神の前に豊かになる」★
「遺産問題」に関連して、語られた「愚かな金持ち」のたとえ。
イエスは「財産分与」問題解決の依頼を断るが、誰もが陥る際限のない欲望である「貪欲」に対する注意を喚起した後、「人のいのち」に関連する「愚かな金持ち」のたとえを語る。
「ある金持ちの畑が豊作」となり、既存の倉庫に納めきれずに困り、金持ちは困り、今よりもっと大きな倉庫を作る計画を立て、自分に次のように言い聞かせた。「さあ、これから先何年も生きて行くだけの蓄えができたぞ、ひと休みして、食べたり飲んだりして楽しめ。」
金持ちは「豊作」という恵みを一人占めし、畑で働いた人たちに例えば臨時ボーナスとして分け与えることをしないし、思いもしない。そのような金持ちに天から声が与えられた。
神は彼の魂に揺さぶりにかけるように「愚かな者よ。」と呼びかけ、「今夜、お前のいのちは取り上げられる。」と語られた。彼は地上におけるいのちがまさか今夜で終わるとは思いもしなかったので、顔は青ざめ、身体はガタガタと震えが止まらなかったのではないかと思う。そんな彼に神は「お前が用意した物はいったい誰のものになるのか。」と問われる。これは「畑の豊作」の恵みが自分だけのものではないことに気づきを求める問いでもあった。そして、たとえは「自分のため(だけ)に富を積む」ことから、「神の前に豊かになる」生き方への大転換を求めて話を終える。
「愚かな金持ち」のたとえは、今日「自分のためだけに富を積む」ことを良しとすることで「格差」問題は発生させている社会に対する警鐘であると思う。
2015年6月2日発行の週刊エコノミストに掲載された日本大学教授の水野和夫さんの「マイナス金利の必然-経済成長をあがめる資本主義の転換点 豊かさを極めフロンティアを失う」と題する文章に「豊かさが飽和点に達した今、さらなる利潤のために無理に成長を求めるのではなく、経済的な余裕を社会貢献に振り向けるような価値観の転換が求められている。」とある。
今日、「神の前に豊かになる」とはこの「価値観の転換」を具体化させることであると思う。