「罪を赦す権威」★
「中風」という病による「半身不随」のため喜びを奪われた人を何とかしてイエスの下に連れてゆこうと悪戦苦闘する男たちの物語にスポットを当てたいと思う。
「重い皮膚病」を患う人をいやしたことで、「イエスのうわさはますます広まったので、大勢の群衆が、教えを聞いたり病気を癒していただいたりするために集まってきた。」ある日も「主の力が働き」、家の中で多くの病人を癒していた。そこに「中風」で苦しむ病人が友人たちに床に乗せられ運ばれてきた。病人は揺られつつ、「もしかしたら、自分の足で歩ける新しい人生が与えられるかもしれない。」と希望を燃やしていたと想像される。ところが、やっと家の前まで来たものの誰も中に入れてくれない。「中風の人」は「やっぱり、これまで通り、歩くことのできない人生なのか」とがっかりする。そうした様子を見た男たち、それまで考えもしなかったことを実行した。それはイエスのいる家の「屋根に上って瓦をはがし、人々の真ん中に病人を床ごとつり降ろした。」のである。それはこれまで誰もやったことがない、まったく新しい試みであった。家の中は騒然となる。男たちのやったことに対し、大きな音、ほこりなどが舞い上がる中、家の中の人たちは「なんて馬鹿なことをするのか」あるいは、「イエスの働きを邪魔するのか」などと思う人ばかりであったろう。
しかし、たった一人イエスだけは違っていた。主は「その人たちの信仰を見て、人よ、あなたの罪は赦された。」と言われたのである。汗をかきつつ、病人をイエスの前につり降ろした男たちの行動は「信仰」だと評価を受けたのである。その上で「中風の人」に「罪赦された」という、新しい歩みを始めることが宣言される。
この喜びを共に喜ぶことができず、クレームをつける人たちがいた。「ファリサイ人や律法学者たち」であった。それらの中には「エルサレム」からイエスの活動を調査にきた人たちも交じっていた。イエスとは「罪の赦し」を行う「神を冒涜する男」だと考え始めていた。イエスはその考えを知り、「人の子が地上で罪を赦す権威」を持っていることをはっきりさせた。その上で、「罪赦された」ことを具体化させる命令、「起き上り、床を担いで家に帰りなさい。」を与えられた。するとその人は「すぐさま皆の前で立ち上がり、寝ていた台を取り上げ、神を賛美しながら家に帰って行った。」罪の赦しは、病の人を起き上らせ、賛美する人へと変えていったのである。しかも、彼を取り巻く大勢の人も賛美する人とされてゆく。イエスの癒しは讃美の連鎖を生み出していったのである。「中風の人」を担いできた男たちも、自分たちの行動を「信仰」だと受け止めて下さった主を賛美する存在になったことだろう。私たちも賛美を生み出す行動をする信仰者でありたいと思う。