「正しい若枝」★

 
ユダ王国(南イスラエル)という国家を滅びに至らせた「王たち(政治家)」の責任と、王国の再出発(希望)を語る箇所。

エレミヤは預言者としての召命を受けた時、3つの使命-世界の国々の興亡に関することを語ること、時代の見張りをなすこと、小さな国家であるユダ王国が滅亡に向かっていること語ること―を与えられ、これらを中心に活動した。彼の時代、歴代の王たちは「牧場の羊の群れを滅ぼし(国家の滅亡)、散らす(バビロン捕囚)牧者たち」であった。

ユダ王国の滅亡は具体的に言えば、バビロニア帝国に反乱を繰り返した結果であった。例えば、ヨヤキムと呼ばれる王の時代、ユダはすでにバビロンの支配下に置かれており、恭順の印としての貢物を納めていたが、ある時点でそれをやめ、バビロンの敵になった。しかし、すぐに鎮圧され、ユダの王族、政府高官、軍人約1万人、建築技術者、鍛冶屋が捕虜としてバビロンに連行された(第一次捕囚)。特にエルサレム要塞化や槍などの武器製造を可能とする人材である「建築技術者、鍛冶屋」が連行されたことでユダはもはや、反乱が不可能な状態に置かれたことになる。やがてバビロンと戦うべきとする「主戦論」が起こってきた。エレミヤは「慎重論」の代表であった。しかし、バビロンへの反乱が実行された。勝敗は明らかであった。ユダ王国は徹底的にやられ、そして、永遠の都エルサレムの神に住まいである神殿に火が放たれ、エルサレムは壊滅し、ユダは国家としての存続を許されず、バビロンに併合されてしまった(第2次バビロン捕囚)。

エレミヤはこの出来事を民族の単なる悲劇とはせずユダ王国の罪に対する神による「罰」であるとした。そして、その「罰」は神がバビロンを用いてなされたと、国家の悲劇の信仰的な意味を明確にした。バビロンはユダの神の下にある器に過ぎないと語った。

その上で、捕囚の民に「希望の明日」を「ダビデのために正しい若枝を起こす。」と語った。それは「正義と恵みの業を行う」新しい王の到来の約束であった。それはこれまでの国家のあり方を根本的に変えてゆくこれまでにない新しい道が与えられることであった。

新約聖書はこの「新しい道」の創造者である「新しい王」こそ、主イエス・キリストであると証言する。マタイ福音書が語るクリスマス物語で占星術の学者たちが語る「ユダヤ人の王」もそうである。

今日、政治に携わる一人一人も「羊の群れ(国民)」を顧みないならば、神の罰を受けるのだという緊張感をもってほしいと願う。