「神の国の福音」★
イエスのミッションの本質を示す「神の国の福音」宣教の大切さが語られる箇所。
「朝になると」イエスはシモンの家を出て、「人里離れたところへ出て行かれた。」目的はただ一つ、父なる神に祈りを通して交わりをもち、新たな力をいただくためである。それはイエスにとり、無くてはならぬ「静まる時」であった。このような「時」を幕末、日本にやってきたペリー艦隊乗組員ももった。従軍牧師のジョージ・ジョンズの司式の下に持たれた主日礼拝であった。江戸庶民にとり、それは何のことかはわからなかったかもしれないが、何か大切なことがなされていることを感じたかもしれない。イエスにとり、この無くてはならない大切な時を邪魔する自分勝手な願いを要求する群衆がいた。「イエスを探し回ってそばまで来ると」「自分たちから離れてゆかないようにと、しきりに引き止めた。」のである。イエスと群衆との押し問答があったかもしれない。イエスはこの人たちにご自分の使命は「神の国の福音」を「ユダヤの諸会堂」で宣教されることであることをあらためて示された。
「神の国の福音」は「神の」という点が大切なのである。これが「人間の」となると、自分勝手なものとなり、時として、争いのもととなる。1945年3月10日の「東京大空襲」で私たちの本所緑星教会は当時、牧師であられた廣野捨二郎先生はじめ多くの教会の兄弟姉妹を失った。このようなことが二度と起こらないようにと祈り願い、行動し、私たちの国が戦争の被害者であると同時に加害者であることを忘れてはならない。
戦後70年の今年、アジア及び世界中の目が日本に注がれている。私たちはイエス・キリストの福音に立ち、新しい国の形成のために祈り、過去の過ちをきちんと総括しつつ、行動しなければならないと思う。