「惜しみない愛」★
神
神はユダヤ人だけでなく、すべての人を惜しみなく愛する方であることを、ヨナという人物を主人公にして語る物語。
神はヨナに大国アッシリアの都ニネベの審判を使命として与えるが、それを拒否し、神の御手の届かない異邦の地に向かう船に乗り込む。彼はこれで大丈夫、やれやれと安心し、船底でぐっすりと寝込んだ。しかし、主は大風を放たれ、ヨナの乗る船を揺さぶられ、船は今にも砕けんばかりとなる。ヨナはこの事態に至り、「主の前から逃げてきたこと」を白状せざるをえなかった。神の命令に背いたヨナは海に投げ込まれるが、主が用意された「巨大な魚」に飲み込まれ、暗闇の中で主に祈りをささげる時が与えられる。
陸地に戻されたヨナに再び主の言葉が与えられ、ニネベに行き、神の裁きを語る。ニネベの民は王に至るまで悔い改めたので、神は審判を下すことをやめられた。
ところが、この神の決定にヨナは怒りを露わにしたため、神の愛とは何かを学ぶ教育が始まる。
ヨナは都を出て小屋を建てて住み、都に何が起こるかを見届けようとしていたが、そこは日差しの強い場であったため、神はヨナの「苦痛を救うため」「とうごまの木」に命じて「日蔭」を作られた。彼は「とうごまの木を大いに喜んだ。」ところが、この木は翌日には虫に食い荒らされて枯れてしまう。ヨナはこの木をたいへん惜しむのであった。そればかりか、再び熱い東風に吹き付けられ、太陽が頭上を照らし続けたためにぐったりとなり、死ぬことを願って「生きているよりも、死ぬ方がましです。」と語る。
その時、神はヨナに「お前はとうごまの木のことで怒るが、それは正しいことか。」と問いかける。彼はすぐさま「もちろんです。怒りのあまり死にたいくらいです。」と答える。
神はヨナにとうごまの木を惜しむ気持ちを振り返らせつつ、自らの愛がユダヤ人だけでなく、ニネベの人々にも向けられる、この上ない大きな愛であることを示されるのであった。
ユダヤの民であるヨナを愛される神は、その愛すべての人に注がれる。
イエスはこの神の愛を山上の説教でこう語っている。「父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださる。」この神の愛に触れる時、悔い改めが生まれるのである。生き方を根本的に変え、人生をやり直すのである。
先日、一人の兄弟が病床洗礼を受けた。それまでの人生の総括を迫られ、生き方を変える決断を与えられたのである。
聖書は語っていないが、ヨナはそれまでの人生をやり直す歩みを始めたと思う。