「主の恵みの年」

 

「故郷」のナザレの会堂における神の子就任説教と、それに地元民が反発する物語。

「霊の力に満ちて」活動し、評判が広まり、「皆から尊敬を受けられる」ようになってきたイエスはガリラヤへ帰られた。故郷に錦を飾ることになるのだろうか?そうではない。この地を敢えて伝道の出発地としたのには意味があった。それはガリラヤが、イエスと深いつながりのあるバプテスマのヨハネを殺害したヘロデ・アンティパスが支配する領地であったからであった。つまり、イエスのミッションはそのヘロデに対する挑戦なのであった。

イエスはある安息日、ナザレの会堂の礼拝で預言者イザヤ書61章を朗読された。

それはイエスのミッションのガイドラインとなるみ言葉であった。

イエスは自分の活動をそこに記された「主の恵みの年」つまり、ユダヤ教の50年に一度の大恩赦の「ヨベルの年」の始まりに位置付けた。「今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した。」と語ったことに会衆は最初は大喜び、「皆イエスをほめた。」ところがしばらくすると、「この人はヨセフの子ではないか。」と、とても信じられないとの率直な思いを語る。多分、イエスを幼い頃から知っているだけに出た言葉であろう。

しかし、そんなことにお構いなし。聖書引用の際、本来記されている「わたしたちの神が報復される日」といういわば、民族主義、国家主権主義と読みとることができる一文を削除したこと、つまり、自分のミッションは民族に限定されることなく、異邦人、および、すべての人に開かれていることに気づかせようと二人の預言者の例を紹介する。

まずは預言者エリヤの時代、「36か月の間、雨が降らず、その地方一帯に大飢饉」起こった時、「イスラエルには多くのやもめ」がいたにも関わらず、彼が遣わされたのは「シドン地方のサレプタのやもめのもとだけ」(異邦人)だけであった。

そして、預言者エリシャの時代。「イスラエルには重い皮膚病を患った人が多くいた。」という中で、清くされたのは「シリア人(異邦人)ナアマン」だけであった。

これを聞いた会衆はそれでは俺たちはどうなるのかと「皆憤慨し、総立ちになり、イエスを崖から突き落とし殺害しようとした」が難を逃れた。

幼子イエスが「聖別」されるためにエルサレム神殿詣出に来た際、預言者シメオンは「これは万民のために整えてくださった救いで、異邦人を照らす掲示の光」と語った。その言葉がイエスにおいて始まり、光は私たちだけのところへ届いただけでなく、全世界の光として輝いているのである。

イエスはイスラエルの神の子ではなく、イスラエルは異邦人と共に神の子イエスの救いの下にいるのである。私たちもその異邦人の一人として招かれているのである。