「主のもとに立ち帰る」★

「神の前に正しい人で、主の掟と定めをすべて守り、非のうちどころがなかった。」と言われる祭司ザカリアとその妻エリサベトに自分たちの子としての「洗礼者ヨハネ」誕生予告がなされる話。
 ザカリアは祭司職のしきたりによるくじ引きで「主の聖所に入って香をたくことになった。」その時、「主の天使」が現れ、彼に「願いが聞き入れられた」(妻エリサベトの男児出産)ことが予告され、しかも、その名を「ヨハネ」としなさいと命令され、生まれてくる子の使命までも明らかにされる。それは「イスラエルの多くの子らをその神である主のもとに立ち帰らせる。」ことであり。その使命を預言者エリヤの働きを紹介して説明する。それは「主に先だって行き、父の心を子に向けさせ、逆らう者に正しい分別を持たせて、準備のできた民を主のために用意する。」ことを内容とするもの。
 これに対し、ザカリアは突然のことであったためか「何によって、わたしはそれを知ることができるのでしょうか。わたしは老人ですし、妻も年をとっています。」と天使の予告に消極的、いや否定的ともとれる受け止めをした。
 そこで天使は「時が来れば実現するわたしの言葉を信じなかった」ので、「この事の起こる日まで話すことができなくなる」ようにザカリアの口を利けなくさせた。信じ切る人となるために聴く時が備えられ、神のみ心に焦点を合わせる日々を送るようになる。それは「務めの期間」が終わり、妻のいる「自分の家」で過ごす時であった。
 「妻エリサベトは身ごもって、五か月の間、身を隠していた。」とあるが、妊娠5カ月を過ぎると、胎内の赤ちゃんは「聴覚」がしっかりして、胎外の音に反応すると言われる。親と子は見える出会いの前に響き合う出会いが先にある。ザカリアは父となる自覚が日毎に増すにも関わらず、声をかけることができない。そのような時、母となるエリサベツは「主は今こそ、こうして、わたしに目を留め、人々の間からわたしの恥を取去って下さいました。」と神の恵みを宣言するのであった。この「恥」とは彼女を「不妊の女」とさげすんだ眼差しで見る側にあると思う。
ザカリア・エリサベツ夫妻はイエス誕生前に、その喜びの前味とも言える予期せぬクリスマスプレゼントを与えられた。それは「主に先だって行き~準備のできた民を主のために用意する。」という救い主に仕えるバプテスマのヨハネであったのである。
私たちはクリスマスを前に、救い主に仕える信仰を今一度整えたいと思う。