「創造六日目」の共同体★

「神はお造りになったすべてのものを御覧になった。」神は創造されて終わりではなく、どういう状態かを確認するという責任を果たされた。そして、「それは極めて良かった。」ので第七の日に休息をとられたのである。
この責任ある創造において「人間」は「家畜、這うもの、地の獣」と共に同じ「第六の日」に創造された。これは両者が上下の関係ではなく、フラットであると受け止めることができる記事である。但し、諸動物は「地はそれぞれの生き物を産み出せ。」と「地」を素材に創造されたのに対して、人間は「我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう。」と神の言葉による直接創造であるという区別もなされている。それは「海の魚、空の鳥、家畜、地の獣。地に這うものすべてを支配させよう。」と使命を与えるためであると思う。神が「良しとされた」被造物をその「良し」にふさわしくあり続けさせるための重大な責任を伴う「支配」を委ねられたことを意味する。
 この六日目の創造を含む被造物全体の創造は争いのない平和裡の構築であり、「良かった」との確認の下、神は第七日目に休息をとられた。
この創造物語にはユダヤの民が捕囚生活を余儀なくされたバビロニアの創造神話との対決があったと言われる。ユダヤの民が捕囚の地バビロンで、毎年新年の最大行事で観た創造神話を題材とする宗教劇は神々の血を血で争う戦いにより世界が創造されるという内容であった。この経験はヤーウェはどのように世界を創造されたのかという信仰への問いかけともなった。
そこでバビロン捕囚後、安息日中心の信仰の構築がなされ、創造物語が誕生したと言える。
世界が戦いではなく、平和裡に創造され、最終日には創造者なる神に「安息」が保証される世界、それが聖書が語る創造世界であった。
また、この物語はエルサレム神殿を失った民に、神殿ではなく安息日を中心とする信仰を提示することに役立った。
初代教会の最初のメンバーのユダヤ人たちはこの安息日という特定の日を中心とする信仰に生きたからこそ、やがて、安息日に代わり復活日を中心とするキリスト者に移行がスムーズにできたとも言えるのではないだろうか。その意味で、バビロン捕囚はユダヤ人だけでなく、キリスト者にとっても意味のある出来事なのである。
それと、この創造物語はユダヤ教徒、キリスト教徒という枠を越えて被造物全体に、神が「極めてよかった」と確認された世界を提示していると思う。