「"知恵"と"霊"により」★

エルサレム教会は命の主イエスを十字架につけた町ともいえる土地での伝道において幾多の困難に遭いながらも、新しい弟子たちという恵みの果実を与えられていた。それが「ギリシャ語を話すユダヤ人」たちであり、リーダーはステファノであった。彼はキリストの恵みと力に満たされ「不思議な業としるし」を「民衆の間」で行う伝道に従事していた。
このステファノは「解放された奴隷の会堂に属する人々」また「キリキア州とアジア州出身の人々」とが議論をした。これらの者に共通するのはエルサレム伝道に従事する点であった。
「解放された奴隷の会堂に属する人々」。この者たちはローマに奴隷として連れてゆかれたが、解放された後、エルサレムに戻り、独自なグループを形成していた。伝道内容の基本はモーセ律法の遵守とエルサレム神殿体制の維持であり、ステファノとは相反していたが、エルサレムに戻り伝道するという点は共通する。商業、金融などの多岐にわたる社会的な分野に進出し、巨万の富を築く者、騎士階級に成りあがった者も多く、大土地所有者も出現したと言われる。この者たちと「キリキヤ州とアジア州出身の人々」らがステファノと議論した。しかし、「歯が立たなかった。」。さあ、どうするか。もっと勉強して再度、議論するか。そうではなかった。彼らは「許せない」という思いに至った。そこでまずしたことは、人々を唆し、「あの男がモーセと神を冒涜する言葉を吐いているという悪い噂を流した。次は民衆、長老たち、律法学者たちを扇動」し、ステファノを捕え、最高法院に引いてゆき、偽証人を立て訴えさせたことであった。ステファノは彼らのなすままに身を委ね、最高法院の席に着いた。
このステファノはルカ福音書でイエスが約束として語られた言葉「どんな反対者でも、対抗も反論もできないような言葉と知恵をわたしはあなたに授ける。」に立つ者であった。裁判の席はその「言葉と知恵」を証する時であり、その場と受け止めていたのだろう。「裁判の席に着いていた者」には被告席の彼の顔は「天使の顔のように見えた。」と言われる。
私たちの信仰生活にも、このような「顔」が与えられることがある。それが「知恵と霊により」イエス・キリストを証する時なのである。