「愛と知恵に満ちた7人」★
キリストの福音をユダヤの枠を越えて新しい世界につなぐ役割を担うことになる7人の物語。
「エルサレムを離れず」「主イエスの復活を証」する使徒たちの活動により「弟子の数」が増え、ギリシャ語を話すユダヤ人も弟子に加えられる。その中から「"霊"と知恵に満ちた評判の良い7人」が選ばれ、エルサレム教会の宣教の一端を担うことになる。
この7人、経済用語で言えば「人的な資本」であり、エルサレム教会は伝道のため活かすことができるかどうかが課題となったのだが、活かしきれなかった。そのことが「苦情」という言葉から感じ取られる。
この「苦情」という言葉の深い背景を使徒言行録は明らかにしていないが、ヘブライ語を話すユダヤ人とギリシャ語を話すユダヤ人の間には亀裂が生じていたと想像さる。ギリシャ語を話すユダヤ人のリーダーのステファノについて「使徒パウロ―伝道にかけた生涯」(佐竹明著NHKブックス22頁)で以下のように記されている。
「ステパノたちはイエスの生前からの弟子ではない。彼らはイエス死後の弟子たちの宣教を通して、律法の拘束から自由に生きる可能性に目が開かれ、彼らの集団に加わった。しかし彼らは、律法からの自由を一層徹底して唱えるようになったため、それにおそらくヘレニストとしての生活感覚にちがい等もあって、まもなく独立のグループを形成する。」両者の関係は調停されず割れた。ステファノグループはエルサレムに留まることができず、異邦人宣教を開拓して、アンティオキアに教会を形成する。
一方、ギリシャ語を話すユダヤ人が出ていった後のエルサレム教会、「非常に増えていき、祭司も大勢この信仰に入った。」この祭司は1年のうち10ヶ月から11カ月は他の仕事に従事して糧を得ていて貧しかったと想像される。この者たちが新しい信仰の友となったと想像される。こうした祭司が加えられることは、エルサレム教会が律法に忠実な福音に生きることであり、ステファノたちの語る福音とは異なる方向となる。つまり、ユダヤ教からキリスト教という方向ではなく、いわば、ユダヤ教キリスト派となってゆき、それはエルサレム教会の安定化につながることでもあった。
それに対し、ステファノたちのグループは組織としては迫害があり、不安定になるのだから、ユダヤ教を脱し、キリスト教へと向かってゆく。使徒言行録は「このアンティオキアで、弟子たちが初めてキリスト者と呼ばれるようになった~。」と語る。
キリストの福音に生きる弟子たちは、「よりユダヤ化」と「脱ユダヤ化」という二つの方向への向かったのである。