「叫ぶ者の声」★

救い主イエス・キリストを迎える準備をするバプテスマのヨハネの話。
ヨハネが活動する時代が、ローマ帝国「皇帝ティベリウスの治世の第15年」、ユダヤに派遣された総督が「ポンテオ・ピラト」で、イエスの活動の主な舞台であるガリラヤの領主が「ヘロデ」、ユダヤの宗教指導者が「アンナスとカイアファ」の時と説明される。そして「神の言葉」が「ヨハネに降った。」。
 彼の使命は「罪の赦しを得させるために悔い改めの洗礼」を宣べ伝えることであり、これをヨルダン河で行った。しかし、それは本来、エルサレム神殿内で公認された祭司によって行われるものであったため、ヨハネの活動は神殿批判という性格を帯びるものであった。
 ルカ福音書は旧約聖書のイザヤ預言を引用し、ヨハネの働きを説明する。それによれば、「荒れ野で叫ぶ者の声」であり、「主の道を整え、その道筋をまっすぐにせよ。」と人々に主を迎える準備を指示することであった。
 この叫びに「群衆」「徴税人」「兵士」たちは「洗礼を授けてもらおう」とやってくるが、特に「群衆」には、いきなり「まむしの子」らよとどやしつける。マタイ福音書では「ファリサイ派やサドカイ派の人々」と特定されている。「我々の父はアブラハム」であると思いこんでいる人たちである。そのようなことは思ってみるなと言われるだけでなく、「悔い改めにふさわしい実(良い実)」を結ばないなら、木の根元に置かれている「斧」で「切り倒されて火に投げ込まれる。」とまで言う。
 この厳しい言葉の前に群衆は「どうすればよいのですか?」と尋ね、ヨハネは「下着を二枚持っている者は、一枚も持たない者に分け~。食べ物を持っている者も同じようにせよ。」と指示を出す。その後、同じように洗礼を受けるためにやってきた「徴税人」「兵士」にもそれぞれに指示を出した。
 これらの後、メシアを待ち望み、もしかしたら彼がそうではないかと心の中で考えていた民衆に、自分と対比しつつメシアとは「わたしよりも優れた方」、「わたしはその方の履物のひもを解く値打ちもない。」と紹介し、メシアは「聖霊と火」で洗礼を授ける方であると説明する。
 私たちもこのヨハネのように、自分の働きを通して、メシアを知らせる証をなすことでキリストの働きに仕える準備をすることができる。喜びと感謝をもってそのような準備に励みたいと思う。