「聖霊の証」★

ペトロとほかの使徒たちがエルサレム最高法院での審議の下、もう万事休すと思われる事態に神は敵とも言える一人を用い、弟子たちが釈放されるという、予想もしない結果に至る話。
最高指導者の大祭司は「あの名」による教えを禁止していたにも関わらず、使徒たちがエルサレムにその教えを広めるのは、また、イエスを十字架にかけた責任をユダヤ当局に負わせようとしているのは何故かと詰問する。
これに「ペトロと他の使徒たち」は答えた。まず、自分たちは「人間に従うよりも、神に従わなくてはなりません。」と基本的な立場を明らかにした。そして、「わたしたち(ユダヤ人)先祖の神」は、「あなたがた(ユダヤ当局)が、木につけて殺したイエス(十字架)を復活させられました。」と言い、この十字架と復活の意味を明らかにする。それは「イスラエルを悔い改めさせ、その罪を赦すため」であり、しかも、今や「導き手」「救い主」として父なる神の右に臨在されていると語る。最後にこれらのことは「事実」であり、自分たちはそのことの証人、しかも、聖霊も証していると語る。
これらの言葉に最高法院のメンバーは激しく怒り、「使徒たちを殺そうと考えた。」ペトロたちはもはやこれまでと思われる状況となる。この時であった「民衆全体から尊敬されている律法の教師で、ファリサイ派に属するガマリエルという人」が議場に立った。「使徒たちをしばらく外へ出すように命じ」た後、「あの者たちの取り扱いは慎重にしなさい。」と語り、これまでにもあった、今回と同じような事例を二つ紹介した。それは「自分が何か偉い者」のように言って立ち上がったが、結果として殺された「テウダ」と、「住民登録」に際し「民衆を率いて反乱を起こした「ガリラヤのユダ」の二人の事件であった。これらのケースを良い悪いと評価することなく紹介した上で、「あの者たちから手を引きなさい。」と言い、その理由として「あの計画や行動が人間から出たものなら、自滅するだろうし、神から出たものであれば、彼らを滅ぼすことはできない。」と言った。そして、「もしかしたら、諸君は神に逆らう者となるかもしれないのだ。」との警告を加えた。
このガマリエルの言葉に議場は従った。ペトロたちは自由の身となり、「毎日、神殿の境内や家々で絶えず教え、メシア・イエスについて福音を告げ知らせた。」
 神は敵とも言えるガマリエルを用いて、福音伝道の継続を可能とした。これは弟子たちの伝道が神の守りと導きの下に置かれていることを証している。もうだめかと思う事態、それが神のみ旨にかなうものであるとき、神は強い御手をもって私たちの現場に介入されるのである。