「信仰共同体としての教会―パウロの伝道に学ぶ」
回心後、パウロは「すべての異邦人を信仰による従順へと導くために」と自ら語るように、全世界にイエスが救い主キリストであることを語る伝道者とされた。その福音は「人は律法の実行ではなく、ただイエス・キリストへの信仰によって義とされる」ことを基本とし、キリストの出来事に関連づけるため、エルサレム教会との交わりを大切にした。
このエルサレム教会では12人の弟子たちに導かれた人たちとは別傾向の人々が目立つようになる。ディアスポラ出身の、ギリシャ語を話し、ヘレニズム的生活を営む「ヘレニスタイ」と呼ばれる人たちで、その代表がステパノであった。彼は使徒言行録によれば「この男は、この聖なる場所と律法をけなして一向にやめようとはしません。」(6:13)と訴えられ殺害される。仲間たちはエルサレムから追放され、フェニキア、キプロスへ。そしてアンティオキアで教会を建ちあげ、律法から自由な立場で伝道する。ユダヤ教からキリスト教の伝道者とされたパウロは当初はアンティオキア教会を後ろ盾とし活動する。
一方、エルサレム教会がユダヤ教の中心地にあることから来る規制などにより、律法を大切にせざるを得なくなり、指導者もペトロからヤコブにかえるなどでユダヤ教キリスト派といった教会形成をする。さらに、この立場をアンティオキア教会に要請し、これにペトロをはじめバルナバや教会が全体として受け入れてゆく。この事態にパウロは猛反発し、教会を去り、独立伝道を始める。すべての人が神に愛されていることが実感できる活動をローマ帝国全体に展開する。これにより、異邦人が中心となる教会がいくつも誕生し、それらはユダヤ教キリスト派ではなく、キリストの教会として形成されてゆく。それは「(キリストの)愛によって互いに仕えなさい。」(ガラテヤ4:13)と示されていることの具体化であった。
「信仰共同体としての教会」はこのキリストの愛によって成長を与えられる群れなのである。