「奉仕の業」★

教会の働きを表す最も基本的な言葉である「奉仕」。聖書の原文では「ディアコニア」と言い、もとは身分の低い奴隷が食卓の傍らに立ち、給仕することを意味した、非聖書的な言葉であった。しかし、
「異邦人の間では、王が民を支配し、民の上に権力を振るう者が守護者と呼ばれている。しかし、あなたがたはそれではいけない。あなたがたの中でいちばん偉い人は、一番若い者のようになり、上に立つ者は、仕える者のようになりなさい。」(ルカ11:25-26)との言葉などにより、教会のなすべき奉仕の基本とされていった。
パウロはローマ書12章の冒頭、信仰生活の基本である神との縦の関係となる「なすべき礼拝」を語り、それを踏まえ、キリストの恵みによる賜物7つを挙げた。(預言、奉仕、教え、勧め、施し、指導、慈善)そこに「奉仕」がある。
「奉仕」とは当時の教会の毎日の働きであった。例えば、他の教会からの訪問者、何らかの理由で教会に長く居候する人たち、新しく教会と関わりを持った人、病人や生活上の問題を抱えた人のお世話などであったと言われる。当初は、会堂はなかったので、これらの活動を行う場所がいろいろと提供された。この奉仕を与えられた兄弟姉妹はやがて共に礼拝を捧げる信仰の仲間とされていった。
この奉仕の働きを可能にさせる根拠は「恵み」による「賜物」と言われる。恵み、賜物、それぞれ原文ではカリス、カリスマ。つまり、カリスからカリスマが生まれる。奉仕とは、恵みの賜物。
最後になるが、この「奉仕」という言葉が標語の一部になっている学校を紹介する。今から130年前に創立されたミッションスクール、東洋英和女学院。今、NHKの朝のテレビ小説の舞台ともなったこの学校は創立から44年後の1928年、建学の精神を表す標語を掲げようと広く在校生、同窓生から募集し、慎重な協議の結果、制定された。標語は4文字。「敬神奉仕」。「神から愛されて存在する私たちだからこそ、神を敬い、互いに愛し合い、隣人のために尽くさねばならない」という意味が込められている。英語で言えば、「Reverence and Service」となる。
私たち、与えられた人生において、「奉仕」に多くの時間を割きたいと思う。そのことで、キリストの恵みが賜物とされるのだと思う。