「神の立てた権威」★
2014.08.03「平和聖日」
礼拝説教 説教者―本所緑星教会信徒
パウロはここで、彼の目の前にあるローマ帝国をそのまま政治的秩序として認め、「上に立てられた権威に従え」と勧告している。そこでは、神の支配の絶対性に対して、地上的権威はどのように巨大であってもやがて滅ぶべきものであること、が自明の前提とされている。「神によって立てられた」ということは、「上に立つ権威」に先立つ、いっそう高い神の主権を前提にしている。「神によって」ということは「神の下に」立てられている権威にほかならない。絶対者としての神を前提にすることは、国家権力がけっして絶対的な存在たりえないという相対化の視点を持っている。
ナチス・ドイツと直面した1930年代のドイツ福音主義教会において、カルヴァン派の神学者は、この聖句を、不正な権力に対する批判と抵抗とをキリスト者の政治的共同責任の神学的根拠と位置付けた。我が国でも、国家腐敗の時に「自由なる義しき良心的な服従によって、預言者は黙さない」と語る矢内原忠雄のようなキリスト者がいた。
平和憲法が破壊されようとしている今日、私たちは地の塩・世の光、預言者的使命として、国家の腐敗に沈黙するものであってはならない。