「賜物の活用」★
神は人間を含めたすべての被造物に恵み(ギリシャ語―カリス)を与えておられる。パウロはそれを「霊的な賜物(カリスマ)」と語り、それらは「全体の益」となるためにこそ「一人一人」に与えられていることをコリント教会に確認させる。
このコリントはギリシャ本土とペロポネソスと呼ばれる半島を結ぶ地峡、東側はエーゲ海に、西はアドリア港に面した港をもち、陸地は南北に通じる。また、古代ギリシャはいわば八百万(やおよろず)の神々の地であり、コリントはそのような宗教事情の下にある地でもあった。
この地に建つ教会にパウロとは相反する信仰理解が大きな力を振るう状況が生まれてきた。それは霊的な能力のひとつである「異言」を重んじる者たちによるものであった。この者たちはいろいろな手段を使って興奮状態となるギリシャの「ディオニソスの宗教」の影響下にあったとも言われ、自分たちは完全なものだから「すべてのことは許されている」と自負し、日常生活上の規範を無視し、集会の秩序を乱すようになっていた。例えば「ある人が父の妻をわがものとしている」という性的放縦もそのひとつであった。また、「目が手に向かって"お前は要らない"」といった言葉に現れているように弱い信徒への配慮に欠けた行動も生まれ、教会全体の益が損なわれようとしていた。
このような状況に対し、パウロはコリント教会に与えられている賜物の、いわばリストを以下のように挙げた。それは「知恵の言葉」「知識の言葉」「信仰」「病気をいやす力」「奇跡を行う力」「預言する力」「霊を見分ける力」「異言を語る力」「異言を解釈する力」等であった。なかでも「異言」を語る者が問題を起こしているにもかかわらず、それ自体を受け入れ、賜物として位置付けた。但し、その行為が行われる範囲が限定され、共同の礼拝でなされる場合には、「異言」の意味を解釈できる人がいるときのみ行うようにとしている。
パウロはどれも「同じ主の下」にある「同じ唯一の霊の働き」であり、優劣のないことを語る。
私たち、自分に与えられている豊かな賜物を確認すると共に、それを霊の働きの下で、「全体の益」となるためにこそ活用したいと思う。