「サウロの回心」★
サウロの回心は彼個人的な事柄であると同時に、キリスト教がユダヤ民族宗教を脱出し、世界宗教への出発に役立てられた出来事となった。
サウロは迫害を逃れダマスコに逃げたキリスト者を追いかけ、「男女を問わず縛り上げ、エルサレムに連行する」途上、突然「天からの光」に照らされ、地に倒れると同時に、「サウル、サウル、なぜ、わたしを迫害するのか」と「呼びかける声」を聞いた。彼はその「声」の主が、自分がこれまで迫害してきたイエスであることを知らされると同時に「なすべきこと」という使命が予告される。サウロは目が見えなくなったため、人々に手を引かれ、ダマスコに着いた後、そこで「使命」が明らかとなるまで祈り続けていた。
神は彼の使命を明らかにするアナニアという名の弟子に「ユダの家にいるサウロという名の、タルソス出身の者を訪ねよ。」との指令を与えた。それに対し、アナニアはサウロなる人物が「聖なる者たち(教会)にどんな悪事を働いた」かを大勢の人から聞いたと語り、教会が関わりを持つべき人ではないと言う。しかし、神はそのような人物を「異邦人や王たち、また、イスラエルの子らにわたしの名を伝えるために、わたしが選んだ器である。」と説明する。これを受けて、アナニアは「ユダの家」に出かけ、これまでさんざん「悪事を働いた」、いわば敵とも言えるサウロに手を置いて「兄弟サウル」と祈り始めたのである。すると「目から、うろこのようなものが落ち、サウロは元通り見えるようになった」。そこでアナニアから洗礼を受け、食事を共にして元気を取り戻した。
その後、サウロはダマスコの弟子たちとあちこちの会堂で「この人こそ神の子である。」と伝道を始めた。周囲はびっくりして「あれは、エルサレムでこの名を呼び求める者たちを滅ぼしていた男」ではないかと語り始めた。しかし、彼はますます力を得て、イエスがメシア(キリスト)であることを論証した。ダマスコの住民はその姿にうろたえるばかりであった。
サウロは「キリスト教を迫害する者」から、「伝道する者」に変えられたのである。神がなぜ、そのようになさったか、使徒言行録は語っていない。神のミッションはどのような者であろうとも、神が必要とされる者が用いられてゆくのである。私たちもその一人であり、サウロに連なるものであることを覚えたい。