「キリストを信じるとは」★
フィリピの信徒への手紙3章5節~7節
キリスト教が誕生した時代に活動した最も有名なパウロがキリスト教伝道者となる前の時代(「教会の迫害者」)の紹介。
彼はローマ帝国属州キリキアの首都タルソにユダヤ人として生まれた。ここには万単位のユダヤ人の家庭があった。そこはヘレニズム(ギリシャ)的な都市であり、そのことは彼の生涯に大きな影響を与えていたと思われる。
彼は生まれると他のユダヤ人と同じく、まず父親の下で、また会堂に附属する学校(書物の家)で会堂長の補助者の教師により律法教育を受けた。イエスもペトロをはじめとする弟子たちもみな、この教育を受けていたが、そこから先に進んだのがパウロであった。律法学者になることを目指して、「聖書解釈の家」と言われる学校に進学した後、「教会の迫害者」として活動したと思われる。
迫害の対象はエルサレム教会のステパノグループと性格が似ていた。この人たちはペトロたちとは異なり、イエスの生前からの弟子ではなかったが、イエスの死後、弟子たちの伝道を通して、律法の拘束から自由に生きることに目を開かれ、エルサレム教会に加えられたメンバーである。ユダヤ教のエルサレム当局は彼らをゆるすことができず、リーダーであるステパノをリンチで殺し、主だった者たちをエルサレムから追放した。この律法からの自由を唱えるステパノの影響下にあるキリスト者をパウロは迫害していたと思われる。
彼は「律法に関してはファリサイ派の一員」と語るように、律法に対して熱心な生き方を自覚的に選んだグループに所属し、とにかく守り続けることに命がけであった。だからこそ「律法の義については非のうちどころがなかった。」と語ると同時に、ユダヤ人でありながら、律法を守らないことは絶対に認めることはできなかったのである。
この律法から自由を唱えるクリスチャンを迫害していたパウロが、律法から自由の福音を語る伝道者となる。そんなことがあるはずがないと誰もが思っていたことが起きた。
伝道とは起こるはずがないと思っていることが起こること。では、なぜ起こるのか。人間の業ではなく、神の業だからである。私たちはキリストを信じることで神の業の「土の器」とされるのである。