「わたしの小羊」★

復活の主がペトロに「この人たち(弟子)以上にわたしを愛するか」と殉教を伴う使命を与える話。
ペトロはイエスが大祭司の下で尋問を受けている時、その近くの庭で「門番の女中」に、ペトロと共に火にあたっていた人たちに、そして「ペトロに片方の耳を切り落とされた身内の者」からイエスとの関係を問われ、いずれも予告された通りに「知らない」と答えた。その際、マタイ、マルコ、ルカの共観福音書では否認の後の「鶏が鳴いた。」のを受けてペトロは泣くことで悔い改めを表すが、ヨハネ福音書にその記述はない。しかし、復活の主により、3度にわたるイエスに対する愛の確認がなされ、いわば、イエスとの新たな関係に入る。その際、「この人たち以上にわたしを愛するか」とこれまでにない新しい使命が与えられる。
これは良い羊飼いであるイエスが羊(弟子)のために命を捨てたように、ペトロもイエスと教会のために殉教することが求められることであった。
それはイエスの十字架と同じく神の栄光を現わすことであり、事実、ペトロはイエスを信じる者たちの群れを委ねられ、そのために殉教する。
この点について、1世紀、2世紀のキリスト教著述家が一致して証言していることがある。それはペトロがローマに来て、皇帝ネロの迫害により殉教の死をとげたというものである。
ネロがローマ皇帝に就任したのは紀元54年の10月で、ペトロがまだ生きていた時代、ローマ市14区あるうちの10区が火災で焼き尽くされた大火があった。この責任追及を求める声が被害にあった人々から上がると同時にある噂が広まった。それはネロがローマを彼の思い描いたとおりの町に造り直すために火をつけさせたというものだった。この噂は広まり、ネロはこの疑いを晴らそうと必死になるがうまくゆかない。疑いが晴らせなければ、皇帝の座から降ろされるかもしれなくなる。別の犯人が現れない限り不可能であると考えたネロは火災が起きなかった地区の住民に責任を負わせることにした。その住民がユダヤ人とキリスト教徒だった。その際に殉教したのがペトロだと言われている。
彼は、「わたしの小羊」のために命を捨てる「良い羊飼い」となったのである。これは、共観福音書(マタイ、マルコ、ルカ)でイエスがペトロに「自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。」と言われたことに通底することである。
キリストの小羊である私たちにも、第2、第3のペトロになることが求められている。それに少しでも応える信仰者でありたいと思う。