「必ず死者の中から」(2014年イースター説教)
キリスト復活の証人となるマグダラのマリアの物語
十字架の「そばに」最後までいた一人であるマグダラのマリアは安息日が終わる「週の初めの日、朝早く、まだ暗いうちに」墓に一人で向かった。それは暗闇の中で輝いている光に導かれる歩みであった。
彼女は「墓から石が取りのけてある」という予期せぬ出来事に、二人の弟子(「シモン・ペトロ」「イエスが愛しておられたもう一人の弟子」)のところに走ってゆき、「主が墓から取り去られました。どこに置かれているのか、分かりません。」と報告する。二人は墓に向かうが、先に到着したのは「もう一人の弟子」であった。遅れてやってきたペトロは中に先に入り「イエスの頭を包んでいた覆いは、亜麻布と同じ所には置いてはなく、離れたところに丸めてあった。」事実を確認した。もう一人の弟子も墓に入り、それまで「イエスは必ず死者の中から復活されることになっているという聖書の言葉を理解していかなった」が、このとき「見て、信じた。」しかし、二人とも「家に帰って行った。」
ところがマリアは帰らず「墓の外に立って泣いていた」。彼女は「泣きながら身をかがめて墓の中を見ると」、「白い衣を着た二人の天使」が「一人は頭の方に、もう一人は足の方に座っていた。」天使はマリアにもう泣く必要はないと語るが、彼女はその言葉の意味が理解できず、十字架で亡くなり、墓に納められたイエスを探すが「どこに」おられるか分からずに途方に暮れていた。そんなマリアを後ろからじっと見つめていたのが復活されたイエスであった。主は彼女に泣かないでいいと言葉かけをするが、マリアは「園丁」だと思い、主であるとは分からずにいた。しかし、彼女に主ご自身が「マリア」と呼びかけて下さったのである。
これに彼女は「振り向いて」主を「ラボニ(先生)」と答えた。マリアは復活の主の呼びかけにより初めて目が開かれキリストとの出会いを与えられた。そして、この大事件を弟子たちのところに伝える存在、つまり、復活の証人とされるのである。彼女の顔は喜びに輝いていたと思う。
復活の主は私たちを振り向かせるために、いつでもどこでも呼びかけている。それに気づかされた者は「イエスは必ず死者の中から復活された」ことの証人とされる。しかも、それは喜びと感謝に包まれたミッションとなり、マグダラのマリアに続く喜びの人となるのである。