「応答を求める真理」(「東京大空襲」を覚える礼拝)

聖書ヨハネ福音書18:28-38

 ローマ帝国のユダヤ総督ポンテオ・ピラトがイエスを尋問し、自らが責任を取らない仕方でことを処理しようとする物語。
尋問が大祭司アンナス、カイアファから、ピラトの下で行われるため、イエスが護送されてくる。時は夜の闇の世界が終わりをつげる「明け方」であった。ユダヤ当局はイエスを死罪と決めていたが、その確認と執行の許可を求めてやってくる。ところが中に入らなかった。その訳は「汚れないで過越の食事をするため」であった。これは「イスラエルの民がエジプトを脱出し、自由の民になったことを祝う重要な会食」で、祭りの期間になされた。自分たちはユダヤ人であることを覚えるもの。そのためには「(宗教的に)汚れない」でいなければなかない。
ピラトはユダヤ人でなく、ローマ人(異邦人)でありユダヤの律法に縛られない食生活をする。例えば、律法が禁じる豚肉を食べる。すると、官邸には、その肉汁や肉片があるかもしれない。もし万が一それらに触れたら、汚れたことになり、「過越し」の食事ができなくなる恐れがある。だから「官邸に入らなかった」のである。
ピラトは仕方なく出てきて、「どういう罪でこの男を訴えるのか」とイエスに罪を認めることができないと語るが、「この男」は悪いことをしたからここに連れてきたと当局は答える。「悪いこと」をしたというのであれば、「自分たちの律法に従って裁け」とピラトは門前払いをする。
するとはじめて、当局は「わたしたちには人を死刑にする権限がありません。」とイエスの処刑をローマに求めていることを明らかにする。そこでようやく、ピラトは重い腰をあげて、イエスの尋問を始める。
二人は神の国と地上の国を代表する。これは光と闇の出会いとも言える。「お前がユダヤ人の王なのか」。イエスはピラトに「あなたは自分の考えで、そう言うのですか。それとも、ほかの者がわたしについて、あなたにそう言ったのですか?」と問いかける。ピラトは、自分は関係ないのに、お前さんの同胞が「わたしに引き渡したんだ」と前置きして「いったい何をしたのか。」と問いかける。イエスは「わたしの国」発言を3回繰り返し、ご自身が神(天)の国の福音を告げる者であることを明らかにするが、ピラトには分からない。「暗闇は光を理解しなかった」との言葉が明らかとなる。そこで、イエスは「わたしは真理について証するために生まれ、そのために世に来た」ことを告げると共に、「真理に属するものは、わたしの声を聞く」と言われるが、ピラトは理解できずに、「真理とは何か」と問いかけてから、イエスの始末にとりかかる。それも自ら(ローマ)が責任を取らない仕方でイエスを処理しようとする。
ピラトの意向はまだ定まってはいないようであったが、「過越祭には誰か一人を釈放する」との慣例をユダヤ当局に示すが、反応は「その男ではないバラバ(強盗)を」という「大声」であった。
私たちは礼拝の「使徒信条」で「ポンテオ・ピラトの下に苦しみを受け」と十字架の責任者は誰かを確認しつつ告白する。

 今日は1945年3月10日の「東京大空襲」を覚える礼拝。これは権力犯罪であり、ピラトと同じ権力者によりなされた、その名は「カーチス・E・ルメイ」という将軍。ピラトという名と同じくらい、この将軍の名も繰り返されなくてはならないと思う。また、新たな権力犯罪が行われる際、「その男ではないバラバを」との「大声」に動員されることのないようにしたい。