「バイブルクラス」が行われました。
2/1(土)のバイブルクラスの出席者は5名でした。
本所緑星教会のバイブルクラスも今年で丸10年が経ちます!
一人の求道者が「英語で聖書を学びたい」と云って、教会の門を叩いてからゼロスタートして良く続いたものだと思います。
今回の聖書の箇所はMatthew 9 (The Message)マタイ9章です。
前章に引き続き、山上の説教を終えられたイエスが次から次へと片っ端から病気や悪霊にとりつかれて苦しむ人々を癒す場面です。
そんな大車輪の活躍をしながらも、自身の業を託す大事な弟子をリクルートしたり、異論反論を唱える律法学者とディベートするイエスが描かれています。
この章でポイントになったThe Messageのタイトル(小見出し)の一つが "Who Needs a Doctor?" です。
イエスがご自分の業を医者の実務にたとえて、当時の権威者であったパリサイ人・律法学者に反論する場面です。
12-13 Jesus, overhearing, shot back, "Who needs a doctor: the healthy or the sick?
Go figure out what this Scripture means: 'I'm after mercy, not religion.'
I'm here to invite outsiders, not coddle insiders."
イエスはこれを聞いて言われた。「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。
『わたしが求めるのは憐れみであって、いけにえではない』とはどういう意味か、行って学びなさい。
わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。」(新共同訳聖書)
この箇所の学びは信仰や教会生活での大事な要素を教えます。
イエスの業、すなわち牧者の業、救いを求める群れを養う業は現状を改善する「実務」であるということです。
もちろんそのためのベースとなる十分な知識や見識が備わっていることは必要ですが、実務としてできなくては無意味であるとイエスは云います。
キリスト教会には伝道や牧会、そして交わりといった社会一般ではあまり耳にしない言葉が良く使われます。
それらの言葉の本質を捉える一助として、今回の学びのイエスの業と同じようにそれぞれが実務であり成果を伴うことが大切だと認識できます。
またイエスは、救いを求める多くの人を癒し、世の中を神のご意志に適う形に造り改めるために複数の働き手である弟子を選び出しそして育てました。
今日もその業はキリスト教会と聖書、そしてそれぞれの群れを牧する牧者によって続いています。