「神に従う」
聖書-使徒言行録4:1-22
「足の不自由な人の癒し」の件で、ペトロとヨハネがエルサレム議会で取り調べを受ける話。
場所は神殿内、二人は「美しの門」における出来事に驚き、集まって来た民衆に自分たちは十字架で殺されたイエスが復活したことの証人であると語る。神殿当局(祭司、神殿守衛長、サドカイ派)はこのことに「いらだち」「二人を捕え牢に入れた。」。翌日、律法学者、大祭司などが二人を被告として裁判が開廷される。「何の権威によって、だれの名によってああいうことをしたのか」と尋問され、ペトロは聖霊に満たされ、「病人に対する善い行い」「その人が何によっていやされたか」で取り調べをうけていることをまず確認する。その際、ユダヤ当局だけでなく、「イスラエルの民全体」への呼びかけも行っていることも語る。
そこに「美しの門」に置かれていた物乞いで、「イエスの名」によって、立ち上がり歩きだすという新しい人生を与えられた男が証人として立つ。その前でペトロはイエスとは「家を建てる者(イスラエル)に捨てられた(十字架)」がイエスの名による家(教会)の「隅の親石」となった方であると証言する。
これに対し当局は「ひと言も言いかえせなかった。」が、「今後あの名によって誰にも話すな」と命令する。ところが、ペトロとヨハネは「神に従わないであなたがたに従うことが、神の前に正しいかどうか、考えて下さい。」と不服従の態度をとる。二人は「脅されてから」釈放される。
「ナザレの人イエス・キリストの名」による福音宣教は、その出発に際し、エルサレム当局の「脅し」に屈することなくはじまった。やがて全世界へ伝えられてゆく。その担い手は弟子たちだけではなく、福音により「復活の命」を輝かして生きるという新しい人生を与えられた多くの人々でもあった。「美しの門」に置かれていた「生まれながらの足の不自由な男」もその一人である。
私たちも福音宣教の担い手の一人であることを覚えたい。