「すべての人を一つに」
ヨハネ福音書17:20-26
十字架に向かう直前の祈り。いわば、地上におけるイエスの最後の祈り。
イエスは今従う弟子だけでなく、十字架後、復活の主に先導される弟子の伝道により導かれる人たちのためにも祈りを捧げる。この祈りに示されるイエスの愛はたえず広がって行く躍動的なものなのである。それは父なる神と子なるキリストの一体性に閉じられてはおらず、いつも開かれており、「すべての人」が招き入れられ「一つ」の交わりとされることを示している。
十字架、復活後、弟子たちは、復活のキリストに先導されイエスを受け入れない世に対して、イエスとは父なる神が世に遣わした神の子であることを証し、世がそのことを信じるようになる働きを担う。
これは「良い羊飼い」のたとえにある「わたしには囲いに入っていないほかの羊もいる。」との言葉にも暗示されている。「世」は「言」(キリスト)を認めず、イエスをメシアであると公に言い表すものを排除するが、弟子たち(教会)はいつも開かれており、世に対する神の愛を示し続けるのである。その愛とは世を神に近づけさせる道を示すものでもあった。
わたしたちは、「言」を知らなかった、知っても受け入れなかったひとりであったが、導かれ受け入れる時が与えられた。
「彼らのためだけでなく、彼らの言葉によってわたしを信じる人々のためにもお願いします。」とのイエスの十字架前の祈りは、私たちにおいても成就した。「キリストを信じる人」はこれからも教会に与えられる。日々の生活でこの方がそのひとりかもしれないと示される人が与えられる時がある。そのような時十字架前の祈りが思い起こされるだろう。祈りつつ、私たちの前に備えられたひとりを神の愛に近づけたいと思う。このひとりに仕えること、それが「すべての人を一つに」との使命を果たすための第一歩なのである。