「別の道を通って」(アドヴェント第三主日)

マタイ福音書2:9-12

東の占星術の学者たちが、ヘロデ宮殿を後に、再び星に導かれつつ「ついに」幼子イエスの所に到着し、礼拝をささげ、「別の道を通って」帰国する物語。

 天が示す星を行動原理としていた占星術の学者たち、「ユダヤ人の王」の誕生を示す星を発見し、ユダヤに向かった。星に導かれつつも最後の詰めのところで間違ってヘロデ王の宮殿を訪問する。そこで、ヘロデ王から「その子のことを詳しく調べ、見つかったら知らせてくれ」という「ユダヤ人の王としてお生まれになった方」の礼拝の他に新たなミッションを与えられた。これは最優先しなくてはならない性格を持つ至上命令でもあった。多分、困惑したと思われる学者たちに「先立って進む」星は彼らに本来の使命(救い主の礼拝)を示す。導く星は「ついに」「幼子のいる場所の上に止まった。」彼らは「喜びにあふれ」という姿勢を整えられ、礼拝において「黄金、乳香、没薬を贈り物」として献げた。

 その後である。「見つかったら、知らせてくれ」とのヘロデ王のミッションを実行するかどうかいよいよ決めなくてはならない。たぶん、悩んだであろう、その時であった。「ヘロデのところへ帰るな」と夢でお告げが与えられ、「別の道を通って自分たちの国へ帰って行った。」これはヘロデ王の命令に従わないだけでなく、それまでの行動原理(星)ではない新しい原理に従うことを意味した。この「帰り道」はヘロデ王の命令に従わない、危険な歩みでもあったが、従うべき方は誰かを証する信仰の歩みとなった。救い主イエスの礼拝は学者たちを大きく変えていったのである。

 50年前の1963年8月28日、アメリカで牧師のマルティン・ルーサー・キング・ジュニアは職と自由を求めるワシントン行進を行った。これは従うべき方は誰かを証する現代の「別の道」を歩むことである。信仰の歩みであり、これからもわたしたちに示されてゆくと思う。時に危険(十字架)を伴う歩みとなるかもしれないが、示された道を歩むものでありたい。