「聖書が実現する」

ヨハネ福音書17:1-19

 明日は死ぬ(十字架)という状況でラストメッセージを語り、神の栄光を讃え、残された者(愛する弟子)のため祈りをささげるイエス。イエスはやっぱり神の子!
 まず、イエスは地上の働きを完成されたこと、つまり十字架にかかる時が来たことを父なる神に祈る(報告)。十字架とは世界が創造される以前より存在していた神の栄光であり、永遠に輝き続ける光である。この光が地上のイエスの働きで輝き、弟子をとらえ、その働きにおいても輝き続ける。そればかりか永遠の光として神の栄光を讃え続ける。
 弟子たち(教会)は「唯一のまことの神である」父なる神と、その父により遣わされたイエス・キリストを知ることで「永遠の命」を与えられる。この「命」は神との人格的な結びつきを創造し、弟子は世から選び出された者としての使命に生きる者とされてゆく。
 このことは残された弟子たちが「世は彼らを憎みました。」と言われる厳しい現実を生きなくはならいことであり、イエスは弟子たちが「悪い者(世)」から守られ、「聖なる者」として「真理の御言葉」に生きるように祈る。それはイエスの十字架につながる使命に生きるようにとの祈りでもあった。
 この十字架はいわば神の子ご自身が「傷つく」ことであり、イエスは十字架という自らの「傷」で救いを実現される神の子であった。

 自分を傷つけることで人を助けるヒーローに漫画の「アンパンマン」がいる。アンパンマンは人を助けるとき、自分の顔の一部を切り取り(傷つき)与える。東日本大震災の後、この漫画の主題歌へのリクエストが日本各地のラジオ局にたくさん寄せられたそうだ。子どもたちはアンパンマンのように傷ついている人のところに飛んでゆき助けることができたらいいなと思ったそうである。自分の一部で助けたいという気持ちがリクエストには込められていると思う。この漫画の作者のやなせたかしさんは苦しんでいる人を助けることは自らが傷つかなくてはできないと語っている。
イエスも傷ついて(十字架の死)人を助ける。アンパンマンはイエスにつながる存在かもしれない。主題歌の一節に「そうだ!嬉しいんだ生きる喜び たとえ胸の傷が痛んでも。」とある。十字架後の弟子たちは十字架の使命に生きるために傷ついても、喜びに生かされたと思う。わたしたちも、この弟子たちに、そして、アンパンマンに(?)つながるものでありたい。

 (祈り)
    神の栄光の光に生きるものとならせて下さい。

    十字架の使命に生きるものとならせて下さい。

    主イエス・キリストのみ名により祈ります